空中スイカ大作戦

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2000年夏、

古賀市で若年性脳卒中者の在宅者を対象にしたリハビリ教室が開催された。厚生省主導のモデルケースとして古賀市が選ばれた。国の事業だから予算が付いた。PTOTが臨時雇用され、送迎バスも用意された。活動の一環として空中スイカ」を提案し了承された。

言い出しっぺなので、土地の開墾から栽培の管理から馬車馬のように頑張った。片手で土を掘り起こした。2年後に腰痛が発生した。初めはわずかな痛みだったが、なかなか治らず年を追うごとに腰痛は酷くなる。あの作業が原因とは言えないが。良い方の手足を酷使したことは間違いない。

福祉センタの裏の空き地を開墾

片手と片足で開墾した。ボランティアさんの力を借りてだけど。まあ、現場に出るだけでも相当な持久力が必要だった。今思うと、よくこんなことやっていたと。我ながら感心する。今ならやらないと思う。このころまでは腰痛なんて他人事だった。

詳細はこちらを参照の事

重さを図ると6キロだった。

中村市長に持って行ったな。今思えば自分で食えば良かったと後悔してる。

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福岡のテレビ局FBSのめんたいワイドから取材に来た

これから数年後には腰痛でヘロヘロになって立ち上がりもできなくなるなんて、思ってもみなかった。まだ50歳ぐらいと若かった。今となっては良い思い出でもある。

空中スイカと養鶏

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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