自分史あらすじ

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少年時代

昭和25年福岡南部の農村で油屋の長男として生まれた。
子供の頃は罠で小鳥を捕まえた。用水では小魚をすくって遊んでいた。
中学に上がると勉強は放棄して飛行機の本や漫画ばかり読んでいた。
高校へ行くのが常識化していたが、中学を出て自動車関連の工員になった。

20代

色んな会社を転々としたが、どこにいっても永続きしない。テレンパレンとした暮らしをしていると、友人の紹介で呉服の担ぎ屋になった。しばらく続いたが独立し、失敗する。ギャンブルを覚え自堕落となり借金をこさえる。着物の仕立てを頼んでいたお針子と恋に落ちるも、彼女には婚約者がいた。しかし、恋の魔法にかかった二人は駆け落ちに走る。があえなく失敗。村に居づらくなり故郷を蓄電。
西瓜売りになるも続かない。競艇に負け、行き場が無いので博多駅裏の人夫出しに転がり込む。ここも逃げて渡りの土工を経て佐多建設の常用人夫となる。

突然の脳内出血

沖縄の工事現場で昼飯を食っていると突然脳内出血に倒れる。仕事中なので労災になると思って申請するも却下された。病院からリハビリセンターへと移動し、ここで知り合った職員と恋に落ち結婚。主夫になったが、労災が蹴られた事への不満から弁護士に相談した。が頼りない弁護士を見限り自分で調停の申し立てをする。見込みが無いので請求金額の178万を30万に減額して情にすがれと調停員に言われた。これが現実かと気落ちし、提案を受け入れると返答。その晩ふっと、思い出した事で気が変わった。湯布院の工事現場で、橋脚の手抜き工事を隠ぺいした事を思い出した。そうだ、あの件を持ち出してみよう。直接の雇用主である佐多建設ではなく、元請けに言いつけてやるのだ。必死で覚えたワープロ専用機を使ってハガキを書いた。

「貴社が行った大分道湯布院の橋脚の鉄筋切断を隠ぺいされた件についてですが、あんな事をして耐震性に支障は無いのでしょうか?道路公団に聞く前に貴社に直接お尋ねしたわけです」

半ばヤケクソで書いたはがきを投函してから3日後には佐多建設の工事部長がうろたえて電話してきた。

「新世界土木と今度の脳出血とは関係なかろうが。しかし、まあ、明日君の家を訪問するから話会おう」

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キツツキの戦法で逆襲

電話の翌日、手土産持参で専務と工事部長がやってきた。裁判所での横柄な態度とは魔逆の対応に驚いた。要求をすべて飲むというので手を打った。70枚のクジラ札を手にしたので車を購入。しかし、半年後にアメリカで地震が起きて高速道路が倒壊した映像が流れた。これを見て、佐多建設に電話した。やっぱり道路公団に申し出て、工事のやり直しをした方が良いと提案。後日話し合いを持ち妥協案を提出。相手はこれを飲む。そして今度は北海道の釧路沖で地震が発生。するとまた僕の気持ちが動いて佐多建設に電話した。今度も話し合いに応じると言う。話し合いの相手は元請けだと告げると応じるとの返答。しかし、たったハガキ1枚出しただけで、とんとん拍子に話が進んでいく。なんでだろう?確たる証拠もないのだから脅されていると警察に届ければよさそうなのに…。本文は実録・筑後平野へ

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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