遠い思い出、僕が土工になったわけ

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土工になったのは訳がある

28歳の時、呉服の担ぎ屋で失敗した。僕は借金取りに追われて村に居づらくなり中学の同窓だった修二のアパートに居候していた。修二とは中学時代は顔見知り程度であったが、10代の後半ごろから時々飲み屋で顔を合わせるていどの仲だった。修二は2トントラックを買って運送屋を始めたが、失敗してダンプの運転手をしながら借金の返済を終えたばかりだったので借金の苦しさをしっているので同情してしばらく置いてくれると言った。1週間も置いてやればよいというぐらいのつもりだったのだろう。

自営業に失敗したので、同郷の人が久留米で呉服屋をしていたのでそこで販売の仕事をしていた。着物の仕立てを頼んでいた久恵と幸恵の二人とは同じ年(昭和25年生)で割と親しくしていた。それで友達がいるので4人で飲みに行こうと誘うと彼女らも喜んで応じた。ちんちくりんという屋台にしばしば出没しては楽しく過ごしていた。久恵と幸恵は従妹同士である。久恵の実家の離れの6畳間に机を並べてヘラ付けなどをしていた。飲み会の帰りに彼女らの部屋に寄っては馬鹿話などに興じていた。

そのころ久恵に縁談が持ち込まれた。着物の仕立てを請け負っている呉服屋の大将の心配である。相手は30歳で西鉄バスの修理工だという。西鉄バスといえば九州では大手の企業である。久恵の両親も兄夫婦と大乗り気であった。当時の28歳といえば娘としてはトウが立っている。周囲は大いにせかせた。久恵は10人並の器量なので、修理工はすっかりのぼせてしまった。

久恵はあまり乗り気ではなかった。見合いをして次の日には呼び出しては車で筑後川の河川敷に連れてゆき、強引にキスしようとしたので久恵は拒んだ。一度会ったらもう自分の女だというその態度が嫌だというのである。見合いよりも恋愛結婚にあこがれてもいた。飲みに行くと恋愛についての話を4人でもしていた。しかしただの仲の良い4人の同い年という関係だった。修二にも僕にも彼女がいたからだ。かといって結婚の約束はしていない。

ある夜、着物の仕立てを頼みに彼女らの部屋を訪ねると、久恵が一人で縫物をしていた。久恵は仕事の手を止めて、母屋から冷えたコーラを持ってきてくれた。部屋の中にある物が目についた。結納の品である。水引きの付いた封書などが置かれている。

「なんね釘茶ね」

「うん…」

釘茶とは仮結納のことだ。女の気が変わらないように、内諾にくぎを刺すという意味を込めてこう呼ぶのである。しかし、久恵の気持ちは沈んでいる。結婚はしたくない。しかし、兄夫婦は急かせる。小姑は早く片付けたい。話を持ってきた呉服屋の大将も大乗り気だ。付け下げ、留袖、帯、羽織り、小紋、紬などをいくらでも売りつけられる大きな商談を逃すまいと呉服屋は腕まくりをしている。修理工も鼻息を荒げて吉報を待っている。

蒸し暑いので久恵がサッシを開けると夏草のある庭から虫の声が聞こえてきた。ラジオからチューリップの心の旅が流れていた。

「ああ~今夜だけは君を抱いていたい~♪」

僕は突然久恵に抱きついて唇を重ねた。彼女はぎこちなかった。

「久ちゃん逃げよう!」

「うん、どこへ?」

「長崎、明日の夜迎えに来る」

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長崎へ逃げる

長崎に逃げる途中のラブホで久恵と結ばれた。稲佐山観光ホテルの部屋から眺める夜景は宝石を散りばめたようなという形容がそのままだった。しかし、3日目になるとお金が無くなった。幸恵に金の無心をしようと電話を掛けると、大騒ぎになっていて警察に家出人捜索願が出ているという。車のナンバーも手配されている。といことをしると二人の気持ちは風船がしぼむように萎えてしまった。修理工は激怒して相手の男を叩き殺してやると息まいていた。それから僕は村を逐電した。博多駅の裏にあったに人夫出しに転がり込んだのである。人夫出しというのは作業員宿舎のことで、屈強な親方がいて、刑務所を出てばかりで行き場の無い人に宿と飯を与えて、建設現場などへ送り出す。日当の中から食費と手数料がひかれてわずかな金額が渡される。昔風に言えばタコ部屋みたいなものだ。こうして僕は工事現場を渡り歩くようになったというわけだ。

1年後にほとぼりが冷めて故郷に戻ると、驚いたことに久恵と修二は結婚していた。僕が逐電した後に久恵は修二に色々と相談をしていて深い仲になったというわけだ。その話を修二から聞かされたときは少なからずショックだった。3年後に僕は沖縄で脳内出血を起こすことになる。僕が結婚してから一度だけ修二の家で4人で会ったことがある。あれから幸恵は独身を通し、難病にかかって死んだそうだ。修二は長距離トラックに乗りながら元気にしていたが、10年ぐらい前にがんにかかったと風の便りに聞いたことがある。今はトラックは降りてタクシーの運転手をしているという。今一度会って物語などしたいが修二は会いたくないらしい。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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