障害年金の再提出は面倒

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障害年金の申請書を出すのは、

昔は、発病後1年6ケ月後でした。今も同じでしょうか?32年も前のことなので変わっているかもしれません。診断書の様式は整形外科のカテゴリーでした。脳疾患なのに、どうして整形外科の範疇なのかわかりませんでした。診断を書くのも整形外科医です。脳外科医とかがいてもです。
そして高次脳機能障害とかの言葉もなかったので、言語障害があっても障害の等級には関係ありませんでした。あくまでも手足の切断や麻痺でないと判断の対象外でした。今はどうでしょう?少しは変わっていると思いますけど。眼に見えない障害というのは辛さを理解してもらえないのが大変なところですね。

行き場のない辛さ

さて、脳卒中になると救急車で専門の病院に運ばれます。大学病院だったり国立病院機構が運営する地域の医療センターだったりです。そういうところは脳卒中の専門医がいるので安心ですが。半年もすると、アンタはもう治らないから荷物をまとめて出て行ってくれと言われます。さすがに強い言葉では言いませんが態度でやんわりと促します。いまでこそデイケアーなどができて若年性脳卒中でも利用できますが、昔はリハビリセンター以外何もなかったので、センターを出ると自宅でくすぶっているしかありませんでした。

こうやって放り出されたら、みんなどうするのでしょう。僕の場合はリハビリセンターに入所できたのでよかったのですが。リハビリセンターには専門職がそろっていて、障害年金の申請にも精通しているので安心でした…。

そして1年半が経過したので、障害年金の申請をしようと思ってもどこで診断書を書いてもらうのかが頭の痛いところです。一番最初に診てくれた医者に頼むのが筋ですが、一度病院と縁が切れてしまうとなかなか診断書を書いてくれと頼みづらいですよね。病院の方も診断書の作成だけでは金にならないので嫌がります。障害年金の診断書は専門的で複雑なので嫌がる医者は多いです。適当な理由をつけて追い返されてしまいます。

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障害年金委は2種類ある

障害年金には永久認定と時々診断書の提出を求められるタイプの2種類です。脳卒中は3年に1度ぐらい現況届と一緒に診断書が同封されているので、診断書を医師に書いてもらって出さないといけません。内部疾患の場合はレントゲンフイルムの提出が必要な場合もあります。同じ脳卒中でも人によって再提出の時期が違うようです。僕の場合は、3年に1度診断書の、提出が要求されるので苦痛でした。

県のリハビリセンターや国立療養所と縁がきれていると、診断書だけ書いてくれと言うと嫌がられるので町医者に相談するのですが、彼らは書いた経験がないので断られます。医者であれば内科医でも外科医でも、歯医者でも良いのですが診断書作成は難しいので、なかなか書いてくれません。診断書を書いてくれる医者とのつながりは大切にしたいですね。年金に限らず装具の申請をするときとか、何かと診断書が必要になります。障害年金の診断書は念のためにコピーを取っておいた方が良いと思います。

同じころリハビリセンターにいた30代のNさんは左片麻痺でしたが、両手は問題なかったけど、足の麻痺が重くてすり足で引きずるように歩いていました。彼の場合は両手が使えるというので印刷会社へ復職ができました。リハビリセンターで診断書を書いてもらい2級の障害年金の受給が決定していました。それから3年後ぐらいにリハビリセンターのOB会をしたときに、Nさんと仲良しだった吉田さん(元歯科技工士)からNさんは2級の障害年金が3級に格下げになって困っていると語りました。

なんでそんなことになったのかと尋ねると、かかりつけの小さな病院で診断書を書いてもらったというのです。これが失敗も原因でした。脳卒中の専門医にかいてもらうべきでした。それも力のある大学病院とか国立病院とか県立病院などが望ましいですね。町医者に書いてもらう場合には、一番最初の診断書のコピーをとっておいて、変なところが無いように自分でよく吟味するしかありません。

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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