死について考えようと思ったが、馬鹿馬鹿しくなって止めた

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葬式を出すのは義務だと思っていた

子供のころ、村の同級生の親が死ぬと。同級生一同は担任の先生に連れられて葬儀に参列した。葬儀の際お坊さんの読経が長くてウンザリした。友達で顔を見合わせていると坊主のお経は可笑しくて、吹き出しそうになるのを必死でこらえた。こらえればこらえるほど可笑しさはこみあげてくる。とうとうたまりかねて吹き出すと、先生から一喝された。村人が死ぬと両親は神妙な顔で参列していた。

小さいころは、人が死ねば葬式をするのが決まっていると思っていた。法律で決まっているのだろう。しかし、長じてくるとそうでもないような雰囲気も感じた。物の本には葬式も出せない。とかの記述がみられる。ははあ。葬式は出さなくても罰せられるものではないらしい。とはいえ、村にいて葬式を出さないときまりが悪い。普段は仲の悪い者同士も神妙な面持ちで並んでいる。

オンボ

死人が出ると家に放置しておくわけにもいけないので村の共有の墓地に穴を掘ってカメにいれていけた。墓には昔管理人がいて隠坊と呼んでいたそうだ。オンボという。下級の僧侶。中学生くらいになると郡部で焼き場が作られて火葬するようになる。その時、死体を焼く作業をする人を隠坊と大人たちが呼んで、心づけを渡していた。やがて彼らも公務員となり心づけを渡すのは賄賂になるので廃れていった。

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最後に

さて、人は死んだらどうなるのだろう。火で焼かれて粉々になった骨が残るだけだ。それだけだ。他は何もない。生き物は、生まれたということは死ぬことを約束されている。生と死は表裏一体ということか。今日があるから明日が来る。今も未来もつながっている。体も全体でつながっている。人も動物も体全体で動いている。

半身不随のリハビリは体全体を使って歩く練習をした方が良い。手を振って両手用足を使って歩く。腰をヒネリ、競歩のような歩き方をすると歩きやすい。村で荒男としておそれられた親父も20年前にあっけなく死んだ。その後母も死んだ。本家の叔父も叔母も死んでいない。大嫌いだった本家の晶一も直腸がんで死んだ。本家の次男の正光は女房子供に捨てられて安アパートで孤独死した。死について考えてみようと思ったが、急にばかばかしくなったので考えるのは止めた。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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