ご近所トラブルの恐怖

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ある日突然

もう20年ほど前になりますか。以前は同じ団地の7棟の2階に住んでいました。ある日、階下の60代の男性がやってきて、アンタの部屋から夜中に音がしてうるさいと苦情をいいます。夫婦二人なので子供の騒ぎもないので、心当たりがありません。そういうと、しばらくしてまだ音がするとやってきました。「そんなに言われても困ります」そういと「部屋の中をみせろ」というので部屋に入れてみてもらいますが、騒音の元になるようなものはありません。

配水管の音かも?

 

高層集合団地というのは9階まで部屋があります。「配水管が9階~1階まで部屋の中を通っています。上の階でトイレを使うと配水管から音がします。その音じゃないですか」それなら「どこの部屋の人がトイレを使ったか特定できないので、どうしようもありません」そう言っても納得しません。この男性の奥さんが体調が悪いとかで騒音が気になるというのです。夫婦二人で部屋を見にきたりもしました。

団地のそばをJRの線路が敷いてあるので頻繁に列車が通過します。「その音じゃないですか」それでも納得しません。とうとう住宅公団の苦情係がやってきて、夜中に配水管の騒音を記録させてほしいと言い出すしまつです。しかし、そんなことをしても一般的な生活騒音以外はありません。苦情係に諭されてしぶしぶ了解しました。

いたずらが始まる

これで解決したと安心していたら、変なことが起きました。僕の部屋の集合郵便受けに、ゴミがいれられているのです。チラシをちぎったものや枯れ葉などです。とってもとってもゴミが入れられているので、ある日階下の老人がゴミを入れるのを目撃しました。捕まえようとしましたが、満足に歩けないので、笑いながら逃げられてしまいました。

それからごみを入れる人がいて困っているので止めてくれという張り紙を郵便受けに貼りました。するとすぐに破られる。それの繰り返しでした。それでとうとう頭にきて1階の老人の部屋に抗議に出向くと鍵をかけてでてきません。いよいよ僕は頭に来て、山芋堀に使う鉄棒でドアーをこじ開けようとしますが、片手だとうまくいきません。しかたなくあきらめました。

自治会も団地の福祉会もあてにならない

すると今度は僕に襲撃されたと団地中に言いふらして回ったのです。警察に相談しても相手にしてくれません。自治会に相談してもお互い様だろうと言われてしまいます。団地の障害者の福祉会でも、アンタも悪いと言われる始末です。もうこうなると打つ手はありません。憤懣やるかたなく悶々としていると、ある朝その老人とばったり通路で出くわしたので、思いっきり顔面を殴ったつもりでしたが、パンチは空を切り、バランスを崩して倒れたのは僕の方でした。老人のニヤニヤ笑う顔を冷たいコンクリートの上にはいつくばって眺めなばならないと時の悔しさは今でも忘れられません。

引っ越しの決断…

それから、僕の部屋までやってきて、ドアを蹴ったり大声で威嚇するようになりました。僕が部屋にいるときは良いのですが、妻が一人でいるときは怯えてしまいます。そんなことが続いたのと妻が腰痛で動けなくなったので、故郷に小さい家を建てて引っ越すようにしました。でも、家を建てても妻が引っ越しを嫌がります。故郷は八女郡という恐ろしいほどの田舎で、中世時代の風習が息づいているので、博多育ちの妻が嫌がったのです。それでも意を決して、妻を説得し、引っ越しの段取りを付けました。そして明日は引っ越しという夜に急に妻が腹痛を訴えます。救急車を福岡東病院へ搬送されました。急性胃炎の診断で2日ほど入院しました。当時妹に家を貸していて、空けてもらっていたのですが、事情を話して引っ越しは延期と兄弟に伝えました。

妻の腰痛も峠を越えて仕事にも復帰できたので、引っ越しを嫌がる妻の気持ちに変化が起きました。そうこうしている間にも階下の老人の威嚇は止みません。警察に相談しても具体的な暴力の被害がないと警察はうごけないと言います。自治会の会長も老人の見方で、福祉会も相手にしてくれません。

インターネットで相談すると、相手が変わらなければ、自分が変わるしかない。と言われたのを思い出し、同じ団地内で引っ越しを決心しました。7棟から14棟に引っ越したのです。

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最後に、

世の中には、自分より弱い者に対して上から目線の態度をしたり目に見えないようなところでイジメをする人が一定数います。最近も、セニアカーの座席に唾を吐きかけられることが起きました。拭いても拭いても唾を吐きかけられます。犯人が特定できないので、だれがやっているかわからないというこわさがあります。

体に障害を持ちながら世の中を渡ってゆかねばならないといことは様々な障壁が待っています。自治会とか福祉会とか名ばかりで物の役に立ちません。それでも地域にすんでいるとそれらを拒絶することは何かと不都合な面があります。結局、自分のことは自分で始末をつけるしかないようにおもいます。

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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