労災の請求人は、会社ではなく被災した労働者である。

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1985年1月16日。シゲは沖縄の工事現場で、突然脳内出血で倒れた。仕事中だったので労災の申請をしたがケンもホロロに蹴られた。その後、懸命のリハビリで独歩を確保し、リハビリセンターの職員を口説いて所帯を持ち、海岸沿いの公団住宅の一室で暮らし始めた。午前中、海岸までの3キロを屋外歩行訓練に出かけるのを日課としていた。

そんなある日、新聞を読んでいたら、脳卒中で倒れた人たちが、労災の不受理を巡って提訴するという記事が目に付いた。それからも度々テレビでこれらのニュースが、過労死110番として流れるたびにシゲはホゾを噛んだ。諦めたつもりだったけど、労災が蹴られたことにまだ未練が残っていた。

医者は高血圧性の脳出血というが、その後色々な病院で血圧を測っても異常は無い。上が120前後、下が90ぐらいで常に安定している。労災棄却の異議申し立てをしなかったことが悔やまれてならない。若年性の脳出血の場合過度のストレスが原因だというのが多いらしい。

脳出血の原因が沖縄での連日の過重労働がに起因すると確信を持つようになったシゲは、このまま泣き寝入りはしたくないという思いが日々強まっていった。新聞社から過労死110番の番号を教えてもらいかけてみた。

「労災の件は無理ですが、因果関係が立証できれば使用者側に遺失利益の請求をする方法があります」
と言うので、そういう方法があるのならぜひ、相談に乗ってほしいと頼み、約束の日にF法律事務所を訪ねた。受付で事情を話すと、35歳くらいのメガネをかけたおとなしそうな弁護士が現れた。これまでの経緯を手短に話した。
「先生、裁判はできるでしょうか。労災では異議申し立てをしておりませんが」

「・・・労災は出来ませんが、おっしゃることが本当なら使用者責任での債務不履行で争うことが可能です。この場合、時効は10年ですから、まだ時間の余裕はあります」しかし、この弁護士は一向に費用のことを切り出さない。弁護士費用がいったいいくらかかるのか。一番気になるところである。まさか無料でやってくれるとも思えない。費用について説明が何もないままズルズルと次の面談日が決められた。そして帰り際に発病前のカルテを取り寄せておくように指示され不安な気持ちで事務所を後にした。

大場病院に電話した。発病する1年前に立ちくらみがしたので、大場病院で院長の診察を受け異常なしだったので、佐多建設の現場に復帰していた経緯があった。そのときのカルテのコピーと今回の入院のときと合わせてふたつ欲しいと申し出たのである。
「そういうことでしたら院長でないとよくわからないので、院長に直接お尋ねになってください」
「いつ伺ったら院長に会えるでしょうか?」
「先生は現在、学会のため留守です。いつもどられるかははっきりしません」
カルテの件を切り出すと適当にあしらわれて相手にしてくれない。弁護士にこのことを伝えると、
「素人が相手じゃ見せてもらえないでしょうね。弁護士が相手なら向こうの態度も変わりますよ、僕がやってみましょう」
まるで他人事である。最初からわかっているなら自分でやればいいじゃないか。この弁護士は頼りにならない。有料の法律相談所を尋ねた。相談料は30分5000円である。落ち着いた中年の男性が対応してくれた。これまでの経緯を話すと、
「やってみる価値はありますよ。この場合、訴訟を起こす相手は元請になります。結局の所、訴訟は口喧嘩ですからね。事の善悪よりは理屈の付け合いですよ。どう理屈をつけていくかですよ。理屈が全てです」
なかなか力強い事を言う。
「それなら、先生、貴方が引き受けてくれませんか」
「残念ですが、それはできません。土木建設業界の顧問弁護士をしているもんで・・・」
なるほど、頼もしいはずだ。(先のF法律事務所は共産党系で、この先生は自民党系である事は、後から両事務所から選挙のハガキがきて知ることになる)
話し込んでいると1時間が経過していた。料金の支払いで1万円札を出したら5千円のお釣りをくれたのは不自由な体に同情してくれたのだろう。

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一人でやろう

 このままではイケナイと思い、裁判の事を勉強しようと自宅に帰る途中、本屋に立ち寄って訴訟関係の本を2冊買った。じっくり目を通すと民事訴訟は本人でも出来ると書いてある。もっともこれは訴訟金額が30万円以下の場合とある。さらにページをめくると裁判にも順序があるということもわかった。

直ぐに裁判所に訴状を出せば良いというものでもないらしい。まず、当事者同士で話し合う。それでも解決しなければ調停の申し立てをする。これでも解決しない場合、訴訟という段取りになると書いてある。ふーん、そういう事なら、佐多建設と話し合いをしなければならない。田中工事部長に電話をかけ労災棄却に不満があることを伝えた。

「今更そげな事言われても。どもならんぞ。もう済んだ話じゃがね」
反論しようとしたら電話がガチャンと切れた。自力で佐多建設と交渉する決心を固めた。F法律事務所への依頼を断らねばならない。どうしようかと思案していると向こうから面談日の変更を伝えてきた。これで2度目の変更だったから渡りに船である。
「じゃあ、もういいです。この件はなかったことにしてください」
これで相談料を払う必要がなくなった。話を振り出しに戻せた。とりあえずの費用に、と妻に借りていた20万円を返した。
「もう弁護士には頼まん。一人でボチボチやって見るけん。ダメで元々たい。何もせんよりはよかじゃろう」
「それでよかとね・・・」

負けられない

それでいいと思った。着手金というのは訴訟金額の1割だという。つまり2000万円の損害賠償の訴訟を起こす場合、200万円を弁護士に払う必要がある。そして裁判に買ったら、さらに成功報酬金を支払わねばならないという。ハッキリ勝つとわかっているなら借金してでも裁判を起こせるが、勝つか負けるかわからないようなものに大金は投じられない。また、そんな金もない。

一人で交渉し、いくらかの見舞金でも手にすれば御の字だろう。悲しいかなこれが現実なのだ。否、1円たりとも手中にできないかもしれない。それでもいい、せめて自分の主張だけでもしておかないと死んでも死に切れない。弁護士を雇ってまともなさ裁判が出来るのは金持ちだけだ。貧乏人は裁判すら出来ないが世の中の仕組みなのだ。金の無い者は淘汰される。これが資本主義というものだろう。弱い者は強い者に踏み見つけられるだけ。そんなのは嫌だ。負けるにしても精一杯抗いたい。
当時の勤務表をわかりやすい表にした。いかに労働内容が過酷だったかを訴える書面も作った。連日ワープロ専用機にへばりついて資料作りに没頭した。熱中しすぎて肩がこり首が回らなくなってしまった。マッサージに行ったら15分で3000円、初診料1000円、合計4000円も取られた。
資料つくりは手書きだと、とうていシゲのような無学な者にはできない。ワープロがあればこその作業である。次のような書面を佐多建設に送付した。「こんな勤務状態ですから、当方に高血圧症の持病が見当たらない限り、脳出血の原因は過重労働によるストレスであることは明らかであります。当方受傷の原因が、貴社の労働基準法違反に起因する以上、貴社及び元請負人である株式会社中竹土木は私(高田繁一)に対して治療費ならびに遺失利益に対する損害賠償の支払いに応じる義務が発生したといえます。つきましては貴社に対して治療費と見舞金合計178万円を請求するものであります。
株式会社佐多建設殿
1988年10月1日 高田繁一福岡法務局へ出かけ、新世界土木の登記抄本を取得した。資格証明書として申立書に付けなければならない。抄本には佐多建設役員の名前が載っている。田中さんも佐多建設の取締役部長として列記されている。ついでだから登記謄本も取得した。こちらには取締役社長の住所氏名、株式の発行高、事業内容まで書いてある。1通に400円の印紙を貼らねばならない。せっかくなので中竹土木の謄本と抄本も取得した。請求書類を送付して数日後に田中さんから電話が入った。

4/3ルール

「この話はもう済んでいる。君の言うことはおかしい。社員でもないのに社会保険まで作ってやったじゃないか。十分誠意は尽くしている。体がそんな風になってひがみ根性が強くなったんじゃないか」

社会保険については向こうの好意だと思っていたがそうではなかった。シゲは作業員なのに社員と同じ現場監督をやらされていた。正社員でなくても長時間働けば社会保険加入の資格を有すると裁判所の判断がある。1日か1週間の労働時間と月当りの労働日数が、正社員の4/3以上が基準となるため「4/3ルール」と呼ばれている。

社会保険を作業員にまで加入させれば、会社が保険金の半額を負担せねばならないので放置している。会社勤めをしながら国民保険に加入するというおかしな具合だが、労働者は無知ゆえどうしていいのかわからないでいる。

労災申請を蹴られたとき、異議申し立てをしなかったことが、返す返すも悔やまれる。自分の無知さかげんが悔しくてならない。労災の件は後の祭りだ。これは諦めるしかあるまい。その代わり、佐多建設から治療費の一部でもとってやらねば頭に血が上って夜も眠れない。作業員を人夫と蔑称する佐多建設の社風にも反発を感じる。人夫だってこんなものぐらい操作できるぞと、移動式クレーンの免許も自力で取得した。

トラッククレーンでの資材運搬もやらされた。もちろん、スコップ取りや足場の組み立て、重量鳶の仕事までやらされた。元気で働いているときは良い顔をして仕事が原因で怪我や病気になると、放り出されたのではたまったもんじゃない。理不尽な扱いを受ければ誰だって反発したくなる。
何回も書面と電話で佐多建設と交渉に当ったが相手にしてもらえない。これで裁判所に調停の申し立てをする条件がすべて整った。裁判や調停をする場合、取り扱うのは被告人の住所を管轄する裁判所か、もしくは事件のあった場所を管轄する裁判所となる。佐多建設には福岡支店があるので、福岡簡易裁判所に調停の申し立てをすることにした。

代書人

1989年3月15日、
福岡簡易裁判所を尋ねた。窓口で調停の申し立てをしたいがどうすればよいかを尋ねた。窓口で渡された用紙に書き込もうとするが、左手で紙を押さえられないので書けない。それに字を知らないので、ひらがなばかりで書いていたら、窓口の人が見かねて言った。

「地下に行って専門の人に書いてもらったらどうですか」

「そういう人がおられるのですか」

教えられた道順に従って階段を下りた。薄暗い地下の広場には小さな机をひとつ持ち、客待ち顔の初老の男たちが並んでいる。机の前後には競艇場の予想屋のように張り紙がしてある。これを見て司法書士、つまり代書人だとわかった。近くにいた白髪交じりの男が声をかけてきた。

「どうぞ座りませんか」

机の前の椅子に座ると事の次第を話した。これまでの経緯をワープロ用紙2枚にまとめたものを代書人に見せた。代書人は手にとって読みはじめた。数分で内容を理解したらしく、

「アンタはなかなか利口じゃね、法律は労働者を保護することを前提としているから、良く勉強して頑張ればうまくいくかもしれない。治療費請求の申立書を作ればよかとじゃね」

「そうですか、なーんも知らんですけん、宜しくおねがいします。ところで費用はいくらぐらいかかりますか?」

「印紙代が8500円と代書料が28・000円」

「うわあ、そげん高かとですか。30・000円しか持ち合わせのなかですけん、また、出直しますたい」

帰ろうと踵を返すと、
「ちょっとまたんね。アンタも障害者になって大変じゃろうし、こげん頑張りよるんしゃるけん、よかたい、全部で30・000円に負けとくたい」

「そげんですか、どうもすんまっしぇん」

表紙付きの立派な治療費請求の申し立て書が出来たので裁判所に提出した。

貴殿の主張は理解に苦しむ

1989年4月10日、
調停の申し立て書を出してから1週間後に裁判所から呼び出しのハガキが届いた。指定された日の午前9時に出向いた。待合室には佐多建設の田中さんと専務の伊田さんがすでに来ていた。

「あ、どうも」

シゲが頭を下げると、伊田専務が、

「高田君の言うちょることがようわからんがな。障害者になってひがんどるんじゃろう」

と、今回の調停申し立てに大いに不満気である。やがて、双方別々の部屋に呼ばれた。元判事でそれから弁護士になっって、今は調停委員をしているという白髪で品の良い老人が重の話を聞いてくれた。そしてこんな妥協案を提案した。

 

「高田さん、会社の人は貴方の主張は理解に苦しむ。労災が不首尾だったのは、我々の責任ではない。それは労働基準監督署がきめたことだから仕方のない事だ。それに社会保険も作って誠意は示したと言われていますよ。こんな場合、みなさん同様の事を言われます。でも、貴方の主張を証明せねばなりません。それには弁護士を雇わないと無理でしょう。そのためにはお金がかかります。それに必ず裁判に勝てるとは限りません。現実はそう甘くはないですよ。会社側は弁護士を雇うそうですよ。貴方の立場にも同情すべき点がありますから。ここはひとつ、要求金額を30万円程度にまで下げて人情にすがるのが最善だと思いますよ。法廷で争っても貴方一人では勝ち目はありません。悪いことは言いませんから情にすがりなさい。この条件でもう一度話をしてきてもいいですか」

調停委員からこんな風に言われてシュンとなった。

「はい、わかりました。宜しくお願いします」
悔しいけれど折れる方が利口だろう。30万円でも僕には大金である。調停委員は佐多建設の部屋へと消えていった。被告と原告を別々の部屋に入れ、仲介人が双方の部屋を行き来して話をまとめるのが調停というもののようだ。同じ部屋だとお互いが感情的になるのを防ぐということか。

5分ほどすると調停委員が伊田専務と田中さんを連れて現れた。

「高田さん、即答はできないので、会社に戻って会議にかけられるそうです。次回の面談日に返事をされるということですが、それでいいでしょうか?」

「はい、わかりました」

「それじゃあ、高田君。俺たちも話し合って見るが、みなが反対したらどもならんぞ」

余裕の表情を見せながら待合室を出て行く伊田専務と田中さんの後ろ姿をシゲは情けない気持ちで見送った。自宅に戻っても悔しさで夜も眠れなかった。本当は元請の中竹土木を相手に訴えたいのだが、それができないのだ。中竹土木にいくら事情を説明しても相手にしてくれない。

「貴殿は佐多建設さんから雇用されていたんでしょう。うちと貴方は雇用関係がないので、そんな事を言われる筋合いはありませんよ」

こんな風に担当者から切り返されると反論の言葉がでてこない。労災の書類を書くのは元請だ。労災を出すと元請には都合が悪いので、初めから認定されないような書き方しかしていない。このことは那覇労働基準監督署の係官の聞き取り調査を受けたとき、事実とは全然違う作業日報を出されているのを見て思い知らされた。

シゲはこの辺り↓の知識不足で、考えが少し甘かった。

「労災請求書には、会社証明が必要となりますが、証明を拒否されても請求できます。労災の請求人は、会社ではなく被災した労働者です」

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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