不倫が止まない理由とは

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結婚したら恋愛をしたらイケナイと誰がいつどうして決めたのか。

決めたのは週刊文春である

2017年1月清楚なイメージのベッキーがゲスの極み乙女のボーカルの川谷絵音との不倫報道がなされてから次々に有名人の不倫報道が発覚した。これまでもタレントや有名人の不倫は散々暴かれてきたが、センテンススプリングから出版部数が劇的に伸び、これにより不倫は悪と国民に認知されたと言える。よって不倫をしてはイケナイと決めた。文春砲という言葉まで飛び出したのだからそういわざるを得ない。

どうして決めたのかは有名人の不倫を記事にすれば販売部数が伸び儲かるからだ。出版社も企業だから利益が出るとわかるとエンジンがかかる。

販売部数が伸びればそれだけ需要があるということだ。つまり、我々一般大衆が他人の情事の顛末を知りたがっている。普段は清楚なイメージのタレントや、元検事の政治家、有名な弁護士とか医者とか、真面目なイメージのある人が不倫をしていると、してなさそうな人がしているというそのギャップが人々の好奇心を惹き付ける。それに加えて嫉妬感も混ざっていよいよ人々の関心を煽る。

そして、背徳の行為が露呈して落ちぶれてゆく様を見るのが大衆の唯一の楽しみなのだ。自分たちがモテないだけに他人の不幸は蜜の味という欲求は大きくなる。金も地位も名誉も美男美女を手にした者への反動とも言えるだろう。

正義感ぶった週刊誌やテレビ局員たちだって、裏では、しっかり背徳の行為にうつつを抜かしているだろうことは容易に想像できる。なぜかというとそれは日本社会は、元々が母系社会なので、一妻多夫が当たり前だった。男が女の家に通うのが普通で、男は単なる種馬という認識だったから性には寛容だったのである。戦国時代も江戸時代にも現代のラブホテルに相当する出会い茶屋があった。(江戸時代に存在した、男女が密会するための茶屋)

一夫一婦制がもてはやされたのは明治維新以来、この150年ぐらいの歴史しかない。江戸時代の長屋の町人たちは、女房を共有していたとも言われている。

 

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むかしは出会い茶屋、今はラブホ

実際、ラブホテルはウイークディーでも満室だ。ということは主婦層の利用者が多いということにほかならない。

 

人は寂しい場所よりも、多少輪雑でも賑やかさを好む生き物なのだ。動物は集団を作る本能がある。集団への帰属意識が無意識のうちに中高年までも街へ誘ってしまう。商店街やデパート、地域のコミュニティーのイベントなどは男女の出会いの場という隠れた側面をもっていたのである。たとえば盆踊りなどは、その日は既婚者同士のセックスも許されるという暗黙の了解が農村には古より存在した。

踊りながらグルグル回る間に相手を探すのだ。気が合えばこっそりと踊りの輪を抜け、暗がりへと消えていく。昔の農村で盆踊りの夜は、人気の少ない墓場、茶畑のウネの間、農作業小屋、廃屋の中からは男女のうめき声が聞こえていたものである。好きあっている男女はたとえ既婚でも、盆踊りの夜だけは抱き合うことが許されていた。

子の生まれぬ夫婦には、相手が代わることで妊娠の可能性もでてくるのである。農村は重労働なのだ。子供、特に、男の子は貴重な労働力である。親父の顔と息子の顔が似ていないなどと悠長な事を言ってはいられないのだ。田植えなどは上から下へと水を回す順番が決められている。与えられた時間内に苗の植えつけを終えなければ、容赦なく水路は遮断される。農繁期の農家はまさに戦場である。男手はいくらあっても足りないのだ。

近親交配の弊害

農村にあった夜這いの風習も村に一人でも多くの働き手を確保するための手段と近親交配を防ぐ側面もあったのだろう。農村は家を守るという観点から近親者同士で婚儀を重ねてきた。終戦後まで従兄弟同士、叔父と姪の結婚など珍しいことではなかった。であるからにして先天的に障害を持つ子や病弱な子が少なからずいた。どんなに優秀な血統でも同種交配を重ねると弊害が多い。

人類は古代より動物を飼いながらそのことは体験的に知っていたようだ。奈良時代、平安時代といった律令体制の時、貴族らは血族結婚を繰り返して家督を守ってきたのである。ゆえに心身に障害のある者が結構いたが、近親結婚の場合、まれにとてつもない天才を生み出すことがある。農村でも近親交配の弊害については体験的に察知しており、村を通りがかった旅の者が一宿を乞うと、たとえばその者が都人であったり屈強な男であったりすると村の娘が枕席にはべり「お種頂戴」といって一夜の伽を申し出たというのである。

殿様や貴族が村のちかくを通った場合、村長(むらおさ)が出て供応した、などと古文書は伝えている。村娘が懐妊し、子をなした場合など村中で大切に育てられたという。もっとも、貴族などの伽をする者は地侍等の支配者階級の娘に限られていたようであるが。次男三男の冷や飯食いや作男などの娘は旅の遊行僧、行商人などに伽をさせていたとの記述も見られる。

年頃になった娘を持つ親は家の戸口の突っ張り棒はわざとはずしておく。娘の元へは複数の男が忍んでくる。生まれた子の父親は娘が決定権を持っている。好きな男と所帯を持ち、たとえ生まれてきた子の顔が自分とちがっても、男親は自分の子として育てる。

こういうことはいかにもふしだらといおうか貞操観念が欠落しているように思えるのだが、違った血を入れることで近親結婚の弊害を防いでいたのである。以上述べたように我々日本人は元来、性には実におおらかな民族だったのである。悪く言えば貞操観念がないということになる。

元々日本人は性には寛容だった。

明治政府が近代化を推し進める上で、諸外国から貞操観念の欠如やいたるところで立小便をし、路上へタンや唾を吐く国民性を恥じた。そのような猥雑な因習の根源である若衆宿を国家指導でなくし、その代わりに青年団を創設した。それによって青少年の性教育の場や社会に出ていく前の男としての必要な躾の場がなくなってしまった。貞操観念を強く求めるのはキリスト教徒である。

一夫一婦制が日本に入ってきたのは明治維新後である。西欧の近代化に追い付き追い越せと政府がやっきになったからだ。一夫一婦制は徴兵制度にも都合が良い。西洋のものは何でもありがたがれらてキリスト教がもてはやされ、神社仏閣が捨てられていった。

(一般に「廃仏毀釈」と言えば、日本において明治維新後に成立した新政府が1868年(明治元)3月に発した太政官布告(神社分離令明治3)1870年の大教宣布など神道国教・祭礼一致の政策によって引き起こされた仏教施設の破壊など指す)

最後に

さて我が日本は、世界の中でもセックスレス夫婦の超大国であるという。エッチをしない夫婦が、想像以上に多いと言う事だ。妻達は、結婚後間もなく自分の亭主に男としての魅力を感じなくなる。そのはけ口として、出会いサイトに群がっているようだ。もっとも、パートナーに魅力を感じなくなるのは、亭主の方も同様だと思うが。

今、日本の夫婦間で、絆、思いやり、道徳等というようなものが急速に失われている。テレビ、インターネット、携帯電話、高度に発展した情報社会の中にあっては、これらの精神世界は不要になり、ボロ雑巾のように捨てられてしまった。そして、時代に順応する者たちはキーボードをたたくだけで、配偶者意外とラブホで戯れる幸せを享受している。

これが新しい時代の姿なのか。崩壊に向かう序曲であろうか。やがて神の怒りを誘う事態に発展するのか。いわゆる知識人と称する人達でも判断に迷うであろう。もはや不倫は、日常茶飯事なのである。インターネットと携帯電話が招いた世界は、これまでの社会の恋愛観を根底から覆してまった。この実情が、日本の夫婦関係の破滅に向かっているのか。夫婦関係を維持継続する事に貢献しているのか。簡単には評価できないだろう。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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