現代の、権力者たちの哀れなる末路

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元都知事の舛添さんがTwitterでこんな↓投稿をしていたが、そうかもしれない。

「小池都知事、衆院選に出れば勝って首相になる可能性。出なければ、首相候補を持たぬ希望の党は敗北。不出馬の代表の責任。都政は首相ポストへの踏み台にすぎず、豊洲など難問続出で投げ出したいところ。都政で成果は上げられず、職員の評価も低い。政治家生命は終わる。だから出馬以外の選択肢はない」

舛添さんは股関節変軽症を患って、人工関節を装着しているので、今後の社会復帰は難しそう。人工関節はチタンという金属でできている。ロケットやジェットエンジンのファンなどに用いられる。またサビないことから医療用としても活用されている。骨折した部分の補強として装着し、骨が完全にくっついたら取り出す。人工股関節の場合は生涯付けていないといけない。

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人生一寸先は闇である

ただ、金属を体内に入れると、体が異物が侵入したと判断して金属を排除しようとするので、様々な副作用が現れる。そして何より金属は冷たいから冬になると冷える。生涯冬場の痛みに耐えねばならなくなる。冷えた体を温めるために温泉に行くのだろう。その他にも色々な副作用があるみたいで、テレビや政治の世界への復帰は難しいだろう。谷垣さんも自転車事故で、頸椎を損傷したので政界の引退を発表した。どんなに頑張ってリハビリしても自分のことを自分でできるようになるのが精いっぱいで、現役復帰とか無理なのだ。自民党時代は、谷垣さんは幹事長、舛添さんは厚労大臣、と一時は首相候補とも目され、両名とも飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、今後は身体障碍者として余生をおくるしか道はない。

田中角栄元総理も重度の脳梗塞で廃人同様となり、政治生命は絶たれた。どころか。派閥は配下の竹下某に乗っ取られ、自身は持病の糖尿病が悪化し、足がむくんで真っ黒になった。血液が流れず足の細胞が壊死したのである。最後は足を切断したと報じられた。今太閤とあがめられた角栄氏と豊臣秀吉の末路がどことなく似ているようにも感じ、秀吉が詠んだというの辞世の句がじーんと胸に迫る。田中角栄が脳梗塞で倒れたのが昭和60年2月17日だった。

僕が脳出血で倒れたのが昭和60年1月16日。僕が倒れて1月後に病院のベッドでテレビのニュースで田中角栄氏が脳梗塞で倒れたと流れたのでよく覚えている。その後田中角栄事務所に励ましの手紙を書いたら、リハビリセンターに返事のハガキがきて、「お互いに頑張りましょう」と書いてあった。もちろん事務所の人が書いたのであろうが、庶民的で人気のあった田中角栄さんの人柄をほうふつとさせるできごとであった。車いすに乗り、地元新潟へ行くとマスコミがついて回る。角栄さんは失語症である。新潟の支援者らの前で涙を流し挨拶をしようとするが、「あー」とか「うー」しかならない。涙がボロボロでる。曲がった口からよだれがすーっと糸を引いた。この様子をTBSのカメラが狙ったようにアップで大写しする。僕はこの様子をリハビリセンターのテレビで見ていた。重篤の病人をここまで世間にさらすのかと思い、目頭が熱くなった。

露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢

角栄さんは中国から鍼の名人を呼んで、施術したり、軽井沢に専用のリハビリ病棟を作り、有名な大学教授の指導でリハビリに励んでいると報じられた。この時思ったのは、一般人と同じ病院でリハビリしたほうがよかったのに、ということ。失語症があるので大勢の中で会話をするのが良い。家族やリハビリスタッフに囲まれていては甘えが出てリハビリは失敗する。重い麻痺が残って歩けなくてもカタコトの言葉がでれば自分の意思は伝えられる。政治家復帰は無理としても裏で院政をを敷くことは可能だと思っていた。しかし彼の境遇では一般病棟への入院など不可能であったろう。高血圧症を医師から指摘されてもいた。高血圧から~糖尿病~脳梗塞という脳卒中の定番の流れである。(このことはNHKで知った)

小池さんや前原さんなどなどテレビ露出の多い人気者は今度の解散で蜂の巣をつついたような大騒ぎで、休む暇もないであろう。過重なストレスが多くの病気の引き金となる。北朝鮮問題と今度の解散で、日本は戦国時代に逆戻りしたような世情を呈している。密約、裏切り、恫喝、憐憫、不義密通。週刊誌はまるで伊賀忍者なみの活躍である。どこぞの大名から金子をもらって風評を巻き、後方かく乱に余念がないようにみえる。まるで池波正太郎や司馬遼太郎の歴史小説を読んでいるみたいだ。くれぐれも御身大切に、奈落の底に落ちないように、現実は過酷なのだ、各位の健闘を祈る。

 

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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