脳卒中で主夫の片手で料理

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一緒に暮らすようになると車は2台も必要ない。彼女のスバルと僕のマイティーボーイを下取りに出してスバルビィキを購入する事にした。このころから軽自動車の排気量が550CCにグレードアップしていたので、新型の軽が欲しかった。それとご祝儀の残りが20万あるので、2台の軽を下取りに出して追い銭が20万円以内で収まる条件に合致したからだ。

 

朝起きるとまり子は弁当を詰め、珈琲を炒れて、パンを焼いて朝食をとり出勤して行った。僕はトーストを作って、珈琲を温めてモーニンする。テレビを見ながら新聞の生活欄で今夜の献立という記事に目を通し、レシピを記憶した。9時になると花見の海岸まで屋外歩行訓練に出かける。片道3キロの道のりだ。団地から裏道を通っていくのである。途中、県道を歩くのだが歩道が無い所もあるので、そういう所を歩く時は用心した。麻痺側の左が車の風圧を感じないので注意が必要である。それとブン回し歩行なので段差に足が当たると転ぶので二重三重の用心がいる。

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歩行訓練と買い物

足の突っ張りが強くて膝が曲がらないので、歩きづらくて泣きたいほどだ。それに途中でトイレに行きたくなったらどうしようとか考えると不安になる。和式のトイレに屈めないので、洋式トイレのある所を思い浮かべるが駅とか病院ぐらいしか思いつかない。緊急の場合は、民家で借りるしかないかとか色々考えながら歩く。片道50分で花見の海岸に着く。堤防のコンクリートに腰かけてしばらく休憩してから引き返す。途中のスーパーで買い物をする。1500円以内と決めていたが、つい買いすぎてしまうことも多い。

団地の部屋は2階だ。エレベーターがあるので荷物がある時は便利だ。部屋の間取りは6畳和室が2つ。それとキッチン、バストイレが付いている。部屋に帰ると装具をはずして畳の上に横になる。ヘロヘロに疲れているので10分ぐらい熟睡してしまう事もある。30分ぐらい休むと疲れもとれる。残り物でお昼を済ませ、後片付けをしてしばらくテレビを見ながら休憩。午後2時から夕食の下ごしらえにかかる。片マヒだとキッチンに立っているだけでも、ものすごく疲れる。材料の加工も大変。玉ねぎは包丁で押し切りにする。片手で包丁を使うと左手で物を押さえて右手に包丁を持って引いて切る事ができない。包丁の刃で押さえながら一気に押して切るのである。特に難しいのが玉葱切りだ。半分に切ってしまうと平たい方を下にすれば安定するので切りやすいが、丸いとコロコロして押さえる事が難しい。

30分ぐらいで下ごしらえを済ませて1時間ぐらい横になってテレビを見る。4時に米を研いでしばらく水に浸しながら料理を作る。煮魚か焼き魚、味噌汁、それに野菜の煮物などを作るぐらい。慣れないうちは大変手間取った。献立を毎日考えるのって実に面倒である。というわけで新聞の料理レシピは大変助かった。ある日「モヤシとピーマンの卵とじ」というのがあった。モヤシの根を取った方が美味しいと書いてあった。その通りに料理したら美味しい。それからモヤシの根を取るようになった。詳細は姉妹サイト片マヒと区足へGO

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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