五木の子守唄に想う。

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子供のころNHKのラジオやテレビで物悲しいメロディーの曲が流れていた。

おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ヤおらんど
盆が早よ来りヤ 早よもどる

で始まる五木の子守唄である。当時、歌詞の意味もわからずに聴いていた。故郷の福岡県南部は熊本県境に近くだいたいの熊本弁は理解できる。しかし、わからないところもある。たとえば、

おどまかんじんかんじん
あん人達アよか衆 よか衆よか帯 よか着物

かんじんかんじんである。若いころは気にも留めなかったが、甲羅を経るごとに気になって仕方ない。で、いろいろと検索して調べた。

おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ヤおらんど
盆が早よ来りヤ 早よもどる

「おどま」とは肥薩地方のことばで自分のことをいう。福岡県南部筑後地方でも自分を「おどん」という。筑前になるとアタイと言ったりする。同じ福岡県でも博多にちかい北部と熊本に近い南部では言葉遣いもかなりの違いがある。これは戦国時代に筑後地方は豊後(大分)の守護大名大友氏の支配下にあったためである。

おどまかんじんかんじん
あん人達アよか衆 よか衆よか帯 よか着物

「かんじん」とは物乞いをする人。今風に言えばホームレスだ。語源は仏教の勧進から来ている。本来は僧たちが仏教の教えを広めたり、寺の運営の費用を寄進してくれるように、地方を説いて回ったことに由来する。転じて物貰いの意味で使われるようになった。歌舞伎の勧進帳とか昔の勧進相撲などが知られている。

おどんがうっちんだちゅうって
誰が泣いちやくりゅきや 裏の松山 蝉が鳴く

「うっちんだ」とは死んだことを強調する意味。標準語で言えば、「私が死んでも誰が泣いてくれるだろうか、泣くのは蝉ぐらいだろう」

蝉じゃござらぬ 妹でござる
妹なくなよ 気にかかる

とはいえ自分にも兄弟がいる。姉ちゃんが死んでも妹よ泣くな、妹の行く末が気にかかる。

おどんが打死んだなら 道ばたいけろ
人の通るごち 花あげる

実家は極貧の農奴である。葬式を出す費用もないだろうから路傍の端にでも埋めてくれ。そうすれば通りがかりの人が花を上げてくれる。

花はなんの花つんつん椿 水は天からもらい水

だいたい、昔の墓には竹を切ってさしてあり野花が活けてあるのが一般的であり椿の花がよくいけてあった。このくだりになると幼心にも悲しさが伝わり、涙腺が緩んだものだ。人に涙を見られるのが恥ずかしくて、学生服の袖で慌ててぬぐったりしていた。

ここに出てくる「かんじん」とは、「三十三人衆」と呼ばれる地主層に対しての「勧進」(小作人)という意味で、ここでは「物乞い」「乞食」という意味で用いられている。歌の意味は「私は乞食のようなものだ。(それにくらべて)あの人たちは良か衆(お金持ち、旦那衆)で、良い帯を締めて立派な着物を着ている」となる。

伝承によれば、治承・寿永の乱(源平合戦)に敗れた平氏一族が五家荘(八代市)に定着したので、鎌倉幕府は梶原氏や土肥氏など東国の武士を送って隣の五木村に住まわせ、平氏の動向を監視させたという。その後、これら武士の子孫を中心として「三十三人衆」と呼ばれる地主層が形成され、「かんじん」と呼ばれた小作人(名子小作)たちは田畑はもちろん、家屋敷から農具に至るまで旦那衆から借り受けて生計を立てなくてはならなかった。娘たちも10歳になると、地主の家や他村へ子守奉公に出された。五木の子守唄はこの悲哀を歌ったものである。(出典ウイキペディア)

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正調・五木の子守唄

おどまいやいや

泣く子の守りにゃ

泣くといわれて憎まれる

泣くといわれて憎まれる
ねんねした子の

かわいさむぞさ

起きて泣く子の面憎さ

起きて泣く子の面憎さ
ねんねいっぺんゆうて

眠らぬ奴は

頭たたいて尻ねずむ

頭たたいて尻ねずむ
おどまお父つぁんな

あの山おらす

おらすともえば行こごたる

おらすともえば行こごたる

(出典ウイキペディア)

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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