脳卒中未来予想図

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近くに住む50代の脳卒中者がいた。体重は100キロちかくあり、シフォンタイプの装具を付けて、杖ついてやっと100メートールぐらい歩けた。歩行訓練を頑張ろうと誘うが、いかんせん体重が重いのでやる気が全くない。車を所有していたので駐車場まで歩くのが精いっぱい。買い物や病院、役所などへ移動は車ばかりだった。
たばこは尻から煙が出るのではないかというぐらい吸っていた。部屋に行くとたばこの匂いが充満していた。尿意を覚えても足に装具を付けていると間に合わない。トイレの前で放尿し、ズボンを濡らしたまま立ちすくんでいた。ちょうど訪問マッサージ師がやってきて事なきをえた。次の訪問マッサージが僕の番だった。

彼はトイレが間に合わないと、車を止めて、どこででも放尿した。福祉センターの入り口の花壇にジャーッとやることもある。病院の駐車場で放尿しているのをとがめられると杖を振り上げて激怒した。「歩けんのにどうしていけるか」そういわれると相手は黙った。

彼の妻は、食事の用意と最低限の世話をすると自分の部屋にこもってしまうようになった。カミさんが面倒見てくれないと泣くので、酷い話だと思っていた。路上で彼の妻と立ち話をしたとき、元気なころはさんざん暴力を振るわれた。などと身の上話をきかされると奥さんの気持ちも無理からぬと思う。九州の男は男尊女卑の思想がどこかに息づいている。特に福岡筑豊地方に多い。

一人では風呂にも入れないので、介護保険で入浴介助を利用した。浴室の中でヘルパーさんのお尻を触るんだと自慢げに聞かされた。こういう性格だから人も遠ざかった。僕も彼の姿を見かけると逃げるように隠れた。会って話すと同病者ゆえ、むげにことわれない。

糖尿病の持病があるので彼の足はむくんで寝たきりになったと奥さんから聞いた。心臓のバイパス手術もしたそうだ。同じ街に息子夫婦が住んでいるが、寄り付きもしない。娘も近くの街に嫁いでいるが、ほおかむりしている。

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最後に

この前奥さんとあったので、どうしているのかと尋ねたらどこかの施設に入れたそうだ。特老にでもいったのだろうか。気難しい人だったが、いなくなると一抹の寂しを覚える。明日は我が身。僕の未来予想図かもしれない。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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