脳卒中、歩行訓練は、体全体を使うと楽だ。

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頭を前方に出すと倒れそうになる。すかさず足で地面を蹴る。これの繰り返しが歩行である。
100メートールの短距離走などを見ていると、選手は思いっきり頭を前方に突き出す前傾姿勢をとっている。頭を前に出すということは前方に倒れることだ。倒れる瞬間に思いっきり足で地面を蹴る。
人間は重心のバランスを頭部を移動させることでとっている。椅子から立ち上がるときには頭をわずかに前にだ出す。そうした方が楽に立てる。つまり歩くということは頭部の移動で重心の位置が変化している。人が動いたときに適正な位置に重心がこないと移動がスムーズにいかない。最悪、転倒ということにもなる。

足の突っ張りが強くて棒足だった。足が伸びたまま膝が曲がらない。足を上げて地面を蹴れない。それでも強引に歩くと麻痺足が大きく旋回してしまう。ぶん回し歩行とか外旋歩行と、昔は言われていた。あれから30年も経つので今はどういう呼び方をするのか、ブン回しの治し方もしらない。

どうしたら膝が曲がるようになるか、足を上げて地面を蹴れるか。27年間毎日一人で歩く練習にあけくれた。夏の暑い日はダラダラと汗をかき、冬の粉雪が舞う日、足が氷のように冷たくなる。雨の日は傘を差しても麻痺側が濡れ、敗れた靴から雨水がはいってもわからない。

どうしたら膝が曲がるようになれかそればっかりが頭を離れない。やがて腰痛が出て動けなくなる。このまま寝たきりになるかもしれないという恐怖心がつきまとう。毎日の買い物が屋外歩行訓練だった。

変化が生じたのは腰痛を機に始めた水泳だった。半年するとわずかに膝が曲がるようになった。小躍りしたが歩行への改善にはいたらなかった。このわずかな変化が水泳継続の原動力となった。正直、片麻痺で泳ぐのはとても苦しい。

片手で泳ぐのは苦しいから無意識に両手で泳ぐ。しかし、頭の中では両手で泳げても実際は、手はだらんとしている。足も同様である。麻痺側の手というか肩を使って泳ぐのは死に物狂いでなければできない。最初は5メートールも泳ぐとヘロヘロだった。

しかし、麻痺側を動かさなければリハビリにならないという思いから麻痺側を使う泳法に取り組んだ。これはとても苦しい。400メートールを麻痺側を使って泳ぎ、400メートールを片手だけで泳ぐ。水泳の他にも毎日5000歩行の買い物訓練も欠かさない。片手だけだと連続800メートールは泳げるが、麻痺側を使うと800は無理だ。

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最後に

今年で水泳を始めて6年になるが、最近、手を振って腰をひねりながら歩くと楽に歩けることを知った。頭のなかのイメージは両手を振り腰をひねりながら威張って歩く方法。しかし、両手を振っていると思っても、ガラスに映る歩行を確認すると片手しかふれていない。だがイメージするだけでも歩きやすい。

泳ぐときに体をローリングさせると泳ぎやすい。歩く時も腰をひねるようにすると歩きやすい。この体を回すという動きが歩行にたいして良い影響を与えているのかもしれない。人類がまだ蛇やトカゲの爬虫類だったころのDNAが脳の奥底のどこかに残っていて、体をひねったりローリングさせることで、遠い過去の記憶がよみがえっているこかもしれない。こんなことを言うと笑われそうだが、水中で体をローリングさせていると、トカゲか蛇になったような不思議な気分になれる。人は足だけで歩いているのではない。歩行とは体全体を使うことだ、そう思っている。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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