ずっと前から年金制度崩壊が叫ばれても、確実に振り込まれる現実

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このことはずっと以前から言われ続けてきましたが、我が国においては年金の支給は滞りなく行われております。ただの一度だって遅れたことはありません。偶数月の15日午前9時に確認すると通知された金額が必ず振り込まれております。この前、年金資金の運用で5兆円が損失した時は、マスコミが大騒ぎして報じました。その後投資運用で10兆円の黒字になったときには小さく扱われておりました。マスコミやエコノミストは人の不安を煽って成り立つ商売なので、不安要素を鵜の目鷹の目で探し、それを針小棒大に報じます。衆目を引き付けるためには記事のねつ造は当たり前の世界。言論や放送、出版に携わる彼らは大衆を惑わす手法に熟知しています。彼らは嘘を50パーセント、事実を50パーセント混ぜて報じるのです。嘘と事実を半分づつ言われると非常にわかりづらくなります。手練れの詐欺師は嘘と事実を上手に織り交ぜて話します。こうなると警察の取り調べだって手を焼くそうです。

この手の年金崩壊説を信じて、どうせもらえない年金だからと、年金を払わない人が増えていきました。それがどうでしょう。銀行が破たんし民間の生命保険だって怪しくなってきました。個人年金なんて保険会社がつぶれれば1円ももらえません。しかし、保険会社は個人年金を奨励します。社会保険労務士は不安を煽ってアドバイスで口銭を稼ぎます。これらに加担するのが食えなくなった大学教授などの専門家と言われる階層です。バブルが崩壊し日本経済は壊滅的な打撃を受けました。その後のリーマンショックもあいまって、さらに傷口は拡大し、世界第二位の経済大国の座を中国に奪われてしまいます。中国韓国は日本経済の失墜に大喜びしました。家電業界も半導体事業も日本が得意としてきた産業の分野でも新興国の追い上げはすさまじく油断がなりません。

年金制度が崩壊するからといって、じゃあ、止めましょう、といって止めるこができるでしょうか?多くの人が年金をあてに生活をしているのです。年金制度は止めますとは言えないでしょう。赤字になれば税金を投入してでも守らねばなりません。民間の保険会社はつぶれればそれまでですが、国家干渉の年金はそうはいきませんもの。日本という国家、国民性を信用するか、わけのわからないエコノミストやマスコミを信用するかはアナタ次第なのです。ただ困ったことに僕のようなブルーカラー層はマスコミのいうことをそのまま信じてしまう傾向があります。

親戚の自営業者で、年金崩壊説を信じて、国民年金を払っていなかったものがいるのです。若いころはよかったのですが社会の変化が速くて、あっという間に失業してしまいました。しばらくは食品加工のパートでしのいでいたのですが、糖尿病を患い、収入の道を絶たれてしまいました。老いた母の年金をあてにした暮らしです。今更ですが中途障害を懸念し国保に加入したそうです。しかし、かけた年数が足りなくて、老齢基礎年金の満額需給はできません。それでもいくらかはもらえるのではないかと淡い期待をしているようですが、年金制度も年々変化し、制度自体が複雑で素人の手に負えるものではありませんからもらえるかどうかはわかりません。社会保険事務所の窓口で規定に満たないとはじかれてももんくはいえません。やっかいなことに彼は現在糖尿病が悪化し、指を1本切断したそうです。せっかく加入した国保ですが、指一本切断では障害年金の受給もかないません。65歳になれば否応なく夫婦でも別々に介護保険料の支払いが待っています。自動的に年金天引きです。年金がない人は振込用紙が送付されてきます。75歳になれば後期高齢者保健も夫婦別々になります。

近所に交通整理のアルバイトをしているものがいて、実家に寄生して暮らす独身の男がいます。60歳ぐらいです。国保に加入してないので老齢年金はもらえません。親が生きている間は、家賃も食費もいらず保険代は親まかせで成り立ちますが、親が死んだらどうするのでしょうね。

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最後に

こんな記事を読むと不安でたまらなくなるのですが、戦争に負けて日本が焦土と化したことから立ち直り、現在の日本を作り上げた国民性を信じてゆくしかありません。我が国は原爆投下、大地震、大津波、大豪雨、などなど数多の試練を乗り越えてきました。これからは、人工知能やテクノロジーの発達で、想像もつかないような社会が我々を待っていると思います。生まれた時から死ぬ時まで一定額の年金を支給するBI(ベーシックインカム)を提唱する人もいるとききます。年金崩壊も言われ続けて数十年がたちます。それでも年金の支給は滞りません。福祉の恩恵を受けて生きる者として我が国の誠実な国民性を信じております。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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