脳卒中片麻痺者、森の教会で挙式

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リハビリセンター入所中に職員だった女性と恋に落ちた。退所後、反対する彼女の両親を説得して軽井沢の森の教会で二人だけの挙式。故郷の八女郡から彼女が暮らす粕屋郡古賀町の公団住宅へ引っ越した。彼女が働き僕が家事をする暮らしを始める。住まいはリハビリセンターの職員寮となっている

 

昭和64年(平成元年)2月5日

金も無いので結婚式はしないつもりでいた。しかし、リハセンである寮母のさんに、

「5万円で結婚式ができる所があるよ」

と言われ気が変わった。レディースコミックの広告に載っているという。長野県軽井沢のホテルに電話で確認すると本当だった。この事を彼女の母親に話すと式をするなら大安の日が良いというので、昭和64年2月5日の大安で申し込んだ。僕の母親に話すと、大変喜んで少しだけどご祝儀をくれた。

親父が彼女の父親に挨拶に行かねばというので、マイティーボーイの助手席に乗せ、国道3号線で博多を目指した。博多駅が近づくと3号線の上を都市高速が通っている。近代的な都市高速を見るのが初めての親父は、まるで小学生のような驚きぶりであった。

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寒波襲来

2月4日の夜行列車で東京へ向かう。この時は寒波襲来で日本中が寒さに震えていた。福岡も朝から粉雪が舞い、僕の麻痺足は突っ張りが強くなっていた。寝台特急、隼に乗るため午後8時には博多駅のホームへ入った。粉雪が舞いビュービューと風が吹き付ける。屋外作業用の防寒服を着ていても寒さが身にしみた。待合室にいると列車の遅れが伝えられた。

関ヶ原付近が積雪のため徐行運転をしているというのである。もしかすると運休になるかも知れないと待合室で話があっていた。30分ほどイライラしていたが、列車は関ヶ原を無事に通過したとアナウンスがあった。やがて、定刻より1時間遅れて寝台特急隼がホームへ滑り込んできた。

手足がガチガチ震えるほど寒い。自販機でワンカップ清酒を1個買った。車両へ乗り込んでベッドに上がってすぐに飲んだ。酒でも飲まないと麻痺側の手足が凍りのように冷たいので眠れそうになかった。そのまま寝入ったと見えて気が付いたら朝だった。列車は静岡を走っているとアナウンスされた。

装具を付けて起きる準備をしていると、彼女もベッドを出て身支度を始めた。洗面をしてビュッフェへ移動したが、列車が揺れるので歩きずらい。席に付いてモーニングを食べていると車窓には富士山が見えてきた。すぐ近くの景色はビュンビュン飛ぶ。が富士はゆっくりと後退してゆく。列車が横浜に入ると車窓が都会の景色へと変化した。直ぐに東京だと思ったら意外に時間がかかって寝台特急隼は東京駅のホームで静かに停止した。

東京駅から信州方面へ行けるのか思っていたら違っていた。彼女が言うには上野駅から出ているということなので、山手線で上野へ移動したが、ちょうどラッシュ時で、ものすごい混雑に驚いた。人に挟まれて身動きできない。じっとしていたら自然に人の波に押されて車内へ入った。箱の中でも身動きが取れない。

ドアー付近の手すりにしがみついて上野駅で降りた時はほっとした。ホームからホームへの移動がまた難儀である。乗り換えの発車までの時間が無いので慌てた。しかし、あせればあせるほど足が突っ張る。しょうがないので引きずったり振り回したりしながら特急列車「あさま」に乗り込んだ。初めての土地なので車窓の景色ですら珍しい。

山に近づくと勾配がきつくなり次第に列車のスピードが落ちてくる。碓氷峠を越えて中軽井沢で停車した。降りると顔面に針をさされたかと思うような寒風が吹き付けた。そのあまりの寒さに驚いた。良くこんなに寒い所に人が住んでいると思ったほどだ。軽井沢の商店街を通る道路の路肩には積雪がある。凍結しているのでチンガタンチンガタンと用心しながら歩いてホテル星野を目指した。

ホテルでは夕食は用意されていない。途中の鮨屋で夕食を済ませてチェックインした。結婚式の費用は5万円だが他に貸衣装代が必要。ドレスとタキシードホテル代込みで15万円。神父さんの前でキリスト教式の誓いを立てた。終わると外で馬車に乗って記念撮影。入籍は軽井沢の役場で。すべてホテルの方で手配してくれた。

次の日は上野へ出てビジネスホテルに投宿。夕食はアメ横をブラブラしてトンカツ屋にはいってトンカツ定食を食った。ビジネスホテルで一夜を過ごすと東京駅へ出た。午後3時過ぎの新幹線で帰る予定である。しばらく時間があるので、はとバスで東京観光半日コースを堪能した。

帰りの新幹線の中では、疲れて寝込んでしまった。起きたらもう名古屋だった。名古屋を過ぎると雪が降り出した。初めは普通の雪だったが、みるみるうちにボタン雪へと変わった。列車はスピードを落として徐行運転である。そして関ヶ原が近付くといよいよ降雪は激しさを増す。

線路わきに設置されているスプリンクラーが作動し、その中をひかり号はゆっくりと抜けていった。米原付近まで来ると雪は少なくなり、京都に付いた頃には雪は止んでいたが、外はもうくらくなっていた。夕飯はビュッフェに行ってカレーを食べた。

最後に

博多駅に着いたのは午後8時を過ぎていた。タクシーに乗ろうとしたら彼女が職場へのお土産を忘れたと言い出した。世の中とは便利な物である。東京の土産物を博多駅の名店街でも売っていた。草加せんべいと雷おこしを職場の同僚へ土産とした。花鶴丘団地の自室へ着いた時は安心した。ヤレヤラこれで一安心である。

彼女が職場の同僚からご祝儀をもらっていた。封を開けて金額を調べてみると40万円ほどあった。これには僕の母親がくれた分も含まれている。披露宴をやらないので結婚式の費用を差し引いても20万円ぐらい余ってしまった。普通に結婚式場でやっていたらそうとうな出費になっていただろう。二人だけの挙式でよかったと思った。其の日は疲れ果てた。風呂を沸かしてカラスの行水をすると布団に潜った。朝起きると新しい生活の始まりだ。生活費は7万円ずつ折半しようと話し合った。

詳細はHP土木作業員の逆襲へ

 

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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