心配事のほとんどは自分で作り出している。

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台風3号が長崎に上陸したというのに、当地福岡北部では無風である。雨も降らず、台風が接近してくるときのあのじめっとした特有の湿った空気感をパソコンの前に座って味わっている。風雨がないので外に出て買い物にいこうにも、いつ降り出すかわからないのでFacebookのタイムラインを眺めている。
 
今日は火曜日でクロスパルは休館日なので水泳にもいけない。数日前から動く側の右肩に多少の痛みと違和感がある。片手しか使えないと、動く方の手が痛くなると異様なほどの心配が頭をうおぎる。良い方の右手が使えないと、立ち上がることさえままならない。床から立つときや布団から立つとき、右手で体を起こしてから右足でヨイショと立つのだから。麻痺した左足で支えることはできても立ち上がるまでのことはできない。
 
歩行、着替え、料理、あらゆることに右手の果たす役割は大きい。否、右手が使えなくなると日常生活のすべてが不可能で、身動きができなくなるだろう。自分で飯も食えなくなったらどうしようとか。片麻痺者の宿命とはいえ、良い方の手が使えなくなった時のことを想像すると、異様な恐怖心にとらわれてしまう。
 
かといってどの部位がどのように痛いのかと言われるとハッキリ言えない。筋肉から来るのか、筋から来るのかも定かではない。右手や肩のの痛みはこれまでも時々あった。いずれもしばらくすると自然に治っている。マッサージ師に聞くと50肩ではないかという。

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漠然とした不安

 
医者に診せると大したことはなさそうだからストレッチなどをして様子を見ましょう。耐えられなくなったら、また言ってくださいといわれる。良い方の手を酷使しているから、健常者とは違う不安に襲われるのかもしれない。
 
プロ野球の投手のように肩を酷使していればだけど。日常生活動作一般での使用だから考えすぎだとも思う。体のどこかが悪くなると色々な否定的な考えが頭をよぎる。こうなると負のスパイラルへと移行するので注意が必要だ。心配事というのは自分自身で作り出していて、そのほとんどは杞憂であることがほとんどだった。
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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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