出血部位は視床下部,それは突然起こった。

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昭和60年1月16日、琉球大学の構内にあるため池に橋をかける工事に人夫として従事していた時である。あの日の事は30年過ぎた今でも鮮明に覚えている。型枠支保工の補強作業を型枠大工の衆と一緒にやっていた。お昼になったので叛場の飯炊きおばさんがタッパに詰めてくれた弁当を食べている最中に急に目の前が暗くなった。目まいがして気分が悪くなったので横になった。同座していた現場監督が寄って来た。病院に連れて行こうと抱き起したが、自分の足で立つ事はできなかった。みんなに抱えられて泥で汚れた国防色の箱バンに乗せられた。

大学の構内に診療所があったので直ぐに移され椅子に座らされた。若い医師が近付くとペンライトで眼を覗きながら、
「1から10までを数えて下さい」
と言ったので普通に数えた。すると今度は、
「1から10までを逆に言ってみてください」
これもスラスラ答えることができた。頭の方は問題がなさそうなので少しほっとした。だが、これまでに体験した事が無い症状だったので、いったい自分はどうなってしまったのだろうと不安を覚えた。
「ここでは何もできませんから専門の病院へ行って下さい」
若い医師はそういうと黒電話のダイヤルを回した。直ぐにピーポーピーポーという音がして、ドカドカと白いヘルメットをかぶった人が数人やってきてベッドに車が付いた台車で車内へと運ばれた。これがストレッチャーと言う物だとは後で知った。

しばらくすると病院の玄関で下ろされた。すぐに人が寄って来てガラガラと台車ごと運ばれて、とある部屋に入った。台車から機械のようなベッドに寝かされるとバンドで体を固定された。
「気分が悪くなったら知らせて下さい」
という声がどこかからしてくると、ウィーンウィーンと言う音がして土管のようなものが近付いてきてその中にスッポリ収まった。


「どうですか気分は悪くありませんか?よかったら今から始めます」
という声が聴こえるのでうなずくと土管がグルグル回り始めた。
しばらくすると回っていた土管が停止し、ウーンと言いながら下がっていったので穴から抜け出すことができた。直ぐに人が寄って来てバンドがはずされ車付きの台車ベッドに移され点滴の針を刺された。移動がはじまり看護師が押す台車のそばに中年の医者が寄ってきて、

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高血圧性頭部内出血です

と告げたられたが、何の事か良く分からなかった。台車はやがて病室へと入った。するとまた二人が寄って来て長靴を脱がせ始た。菜っ葉服は二人がかりで脱がせる事ができたが、ズボンはハサミでジョキジョキと切ってしまった。いつの間に用意されたのかパジャマに着替えさせられると本物のベッドに寝かされた。そこに若い看護師がやってきて、無造作に股間からペニスを引っ張りだした。用意した細いビニール管にワセリンを塗ると尿口から管をスルスルスルと一気に差し込んだ。無表情で中学生が理科の実験でもするような感じであった。管の先には車のビニール袋が付いていて、ベッドの柵にくくり付けられた。導尿という処置である。脳に異常が起きると排尿排便の障害が起きるのでその対策だという。ビニール袋の位置は体よりも下にあるから膀胱から溢れた尿は管を通ってこの中にたまる仕掛けだ。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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