おもひで…

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古い話だが、節子と知り合ったのは、とある新聞の記事を通じてである。中年の男性が屋根から落ちて下半身不随となり絵手紙でボランティアさんと交流を図っている。その文通の仲間として知り合った。節子はボランティアとしての参加である。その障害者を中心に文通のグループが形成された。という記事が地方欄にちいさく載った。これを見て中途障碍者として参加した。数人の女性と文通をしていたが、やがて節子と親しくなり、頻繁に手紙のやりとりをするようになった。

今のようにスマホはおろかインターネットすら無い時代である。ドキドキしながら返信を待った。40代の主婦である節子は小学校の教師をしていた。夫を持つ身でありながら、他の男と手紙のやり取りをしていることに罪悪感を持っていた。お互いに写真を交換し、好意を持っている。そういうことまでは進展したがそれ以上はなかった。

半年後に会うことになった。同じ列車に乗ることにして、手紙で綿密に打ち合わせをした。先頭車両の前の座先に座ることにきまった。当日はドキドキだった。お互いに配偶者にバレないように。こちらは障害者だと告げてはいるけど、実際に会って、ビッコを引いた無様な姿を彼女の前にさらすことに抵抗があった。しかしもう後戻りはできない。やがて目的の列車に乗った。平日のお昼ということもあり中は空いていた。足を引きずるように先頭車両を目指した。

右側の一番前の座敷に女性の後姿を見つけた。ドキドキした。異様に喉の渇きを覚えた。しずかに近づいて顔を見た。見覚えのある平均的な日本人女性だった。
「節子さん」
「はい」
「一郎さん」
「うん」
並んで一緒に座った。周囲を見渡すと人はまばらだ。近くには誰もいない事を確認し節子の手を握った。ぎこちなく握り返してきた。体を密着させると心臓がどきどきした。30分ほど手を握りあっていると汗ばんできた。喉が渇いて言葉がひきつる。次の駅で降りてホームの自販機でコーラを買って飲んだ。節子に渡すとおいしそうに喉に流した。それをまた自分が飲んだ。

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快速電車がすべりこんできた。

「帰りましょう」
節子が言った。一郎も後をついて車両に入った。
3日後に業務用の茶色い封書が届いた。
急いで封を切りむさぼり読んだ。なんでもない学校での授業の様子や、夫への不満や日常生活が便箋3枚につづられていた。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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