映画「にあんちゃん」を見てみたい

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小学5~6年生のころだったから、昭和35~6年ごろである。当時九州の田舎までテレビは普及しておらず、娯楽はもっぱら活動写真(映画)だった。農村はどこも貧しかった。活動を見られない児童に配慮して、小学校では定期的に活動写真の上映が行われていた。もちろん文部省推薦の作品。

ある時、故郷の下広川小学校の講堂に全校生徒が集められて、上映された映画が「にあんちゃん」である。貧しい在日朝鮮人の家族がテーマの映画だった。ボロのリヤカーの後押しをする子供の後姿を今でも鮮明に覚えている。
長じてからも「にあんちゃん」というタイトルの意味を調べようと思ったが忘れていた。昔はインターネットもなく、簡単に調べようもなかった。が、今は簡単に検索でしらべられるので「にあんちゃん」の全容を知るに至った。

「にあんちゃん」とは2番目のおにいちゃんの事。
物語は佐賀県唐津市の海に面した鶴ノ鼻という小規模炭鉱での話。
時は、昭和28年(1953年)
http://odakyuensen.blog.fc2.com/blog-entry-842.html

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もしかして

僕の生まれて育った筑後地方にも在日コリアンの家族がいて苦労していたことはうっすらと感じていた。この映画のストーリーのようなことはあちこちであったと思う。
時代背景が僕の子供のころとかぶる部分も多い。映画を見てみたいと思っようになった。
もしかしたら古賀市立図書館に映画のDVDがあるかもしれない。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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