これから世の中は、どうなるのだろう

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写真は昭和30年代前半ごろ村にあった。自転車オートバイと呼んでいた。自転車に小さなエンジンがついている。

時代は急激に変化していく。やっと覚えたパソコンとインターネット。といっても初心者の域をでないのだが。スマホとタブレットの登場で、それすらもう古くなった感がある。AIとIOTだがAIはなんとなくわかるような気がする。が、IOTがわからない。物とインターネットが融合するとか。そんな感じのことを言ってるが、それだと10年前から言われていたユビキタスと同じじゃんとか思ってしまう。そもそもユビキタスも実感としてよくわからない。

テクノロジーの進歩で街の形相も様変わりしている。外に出てもあんまり人がいないのである。みんなどこでどうしているのだろう。暴走族もみかけないし、街角ナンパ目的でたむろするDQNの兄ちゃんも見ない。
67歳の僕が過ごしてきた時代の価値観など遠い昔のできごどとである。自転車からテレビ、バイク、車とトレンドは変化してきた。乗り遅れまいと必死だったが、いつも中途半端だった。小学生のころ国のエネルギー政策が石炭から石油に代わると産炭地では失業者があふれた。政府は失業対策として土木工事の日雇いを推し進めた。日給が240円だったことからニコヨンと呼ばれていた。

近年の変化はあのころとは比べ物にならない。これから老いは加速するばかりだ。今後予想される激流をどうのりきっていけばいいのか。皆目見当がつかない。気持ちも老いればよいのだが、気持ちは40代、実年齢は高齢者。気持ちの切り替えができずに漠然とした不安だけが募る。考えすぎだろうか?

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最後に

昔の生活用具。子供のころしようしていた。

左はハイラズハエがたからないように食卓に被せる。

右はイグリおひつの保温用。冬場にお櫃をこのなかにいれておく。ワラでできている。

             

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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