障碍者の婚活とは

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障碍者のお見合いをセッティングしている企業があるというので驚いた。僕が受傷した30年ぐらいまえでは考えられないことである。障害者といっても色々な種類があるので一概には言えないが、全般的に障害者の結婚は厳しかったというのは今も昔も変わらない。以下のサイトが障害者に対応している

ブライダルサポーター

門前払いしないことをキャッチフレーズにしている。

婚活パーティー・お見合いパーティーのエクシオ

障害をお持ちの方・理解者編というのがある。

うーむ、時代は進んだな。というのが正直な感想だ。

障害者の場合、異性と出会える場がないという意見が多いが、あながちそうとばかりも言えない気がする。障害者というのは病院や福祉施設に出入りすることは簡単だ。こういう施設というのは、だいたい優しい男性・女性のスタッフが多い。出会いのチャンスは結構多いと思う。

農林水産業とか土木工事とかの3K職場にいると、男の場合、女性と出会える場はほとんどない。周囲にいるのは汗臭い男だらけだった。女性がたまに工事現場にいても飯場で賄い婦をしている50~60代の人だ。

僕は、34歳で脳内出血で病院に担ぎ込まれた。周囲にいるのはほぼ全員が女性なので、障害者になったことはショックでもあったが、反面密かな嬉しさもあった。荒男だらけの職場からまるで秘密の花園に舞い降りたようなそんな気持ちだった。でも、こういうことは決して口には出せない。

朝一番にやってくるのは、見習い看護師の17~8歳の女性だ。脈をとり血圧を測ってくれる。詰所に行けば20代~50代ぐらいの看護師さんがたくさんいる。もう選び放題である。リハビリ病棟にいってもいるのはほとんど女性で男の療法士が1人2人いるていどである。もうこうなるとリハビリどころではなくなる。34歳で独身だから、いかにして女性とお近づきになれるかに、頭を悩ませることになる。苦しいリハビリに行くのも若々しい看護師さんに会えるためだというケースは多い。ほとんどの男はそうおもっている。でもそれは言えない。

障害者だから出会いの場がないとはいえないとおもうのだけど…。

そして今はインターネットという便利なツールがある。SNSや掲示板、ブログで知り合うということも可能だ。でも、我々障害者自身が結婚や恋愛はできない。そう思い込んでいるだけなのかもしれない。鏡に映る自分の無様な姿を見るとき、こんな体じゃなあ。そう思ったこともある。

どうするか

障害者だから恋愛も結婚もできない。なんてことはない。幸せな結婚や恋愛をしている障害者も結構いるのである。健常者だから必ず結婚できるということはないと思う。健常者でも独身の人はいるもの。収入の面でも容姿の面でも申し分ないのに結婚してない人の存在があるのも現実。昔と違って障害者の婚活を支援する企業が現れたことは選択肢の幅が広がったと思う。

結婚というのは毎日の生活だから恋愛中は許せた相手の行動がイチイチ鼻についてしまい、こんなはずじゃなかった。との思いに至ることもしばしば。あんなに好きだった相手が鼻を掘り、屁をこく。トイレに行くと流し忘れた排泄物を目にすることもある。もうこうなると男女間の感情はふっとんでしまう。あるのは損得勘定のみである。生活費をどうするか。家事をどうするか。パートナーに暮らしのすべてを依存しなくてはならない障害者とすれば辛いところである。

どうするか。相手を自分から離れられなくしてしまうしかない。裕福なら生活費の全額負担。できる者は家事の全面負担。寝たきりで何もできなければ洗脳してしまうしかない。ただこれは非常に難しい。新興宗教の教祖になるぐらいの才能が必要であろう。

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最後に

僕の場合は家事も生活費もパートナーと折半することで乗り切った。買い物も料理も自分の金でやる。仕事から帰ってきて御飯の用意ができているほどうれしいことはないだろう。食費もいらない。一般就労は無理としても片側半分の手足が動くのだから頑張れば料理はできる。居心地の良い暮らしを提供すれば、次第に離れられなくなってしまう。中途半端な収入の健常者と結婚して家事をさせられよりも楽だわ。とこういう状況を作り出してしまえば多少の不満があっても我慢できる。これはお互いに言えることだと思う。

インターネットで知り合ったときは最初から自分は障害者だと告げるか、途中で告げるかは迷うところであるが、早い時期に告げた方がよさそうだ。最初から障害者だと名乗るとスルーされるので当初は頑張って相手の気を引き、そこそこ親しくなったところで、いずれかのタイミングで、さりげなく障害者だと告げる。以降は障害者っぽいことは言わない。障害者だと告知が遅れると次第に言い出せなくなる心理状態になるので、早い時期の告知が良いと思うが、この辺の判断は体験から学ぶしかあるまい。と老障害者は思うのである。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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