JALコレクション

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昭和61年1月16日

沖縄の工事現場で突然脳内出血で倒れた。

10日目になると退院の許可が出た。血圧も安定している。飛行機に乗っても良いという診断書も出た。会社から人がきて転院するための手続きをしてくれた。いよいよ退院するという朝、付き添いの好恵さんは自分の車で僕を那覇空港まで送ると言った。そして飛行場で別れるとき小さな紙袋を渡してくれた。

「サンドイッチを作ったので、飛行機の中で食べてね。それじゃあ、リハビリがんばって」

出発ロビーのゲートでいつまでも手を振っている好恵さんの姿が印象的だった。会社の人が福岡空港まで付き添って、出迎えに来ていた弟へとバトンタッチしてくれた。

この時、那覇空港から乗った飛行機が尾翼に鶴丸のマークが描かれたJALのローキードトライスターだった。

フライト中は、この先自分はどうなるんだろうという不安にかられながらも故郷に戻れる安心感もあった。

那覇空港で飛行機に乗るときは、日航のスタッフが機内まで車いすを押してくれた。

福岡空港でもスタッフが待っていてくれて、到着口まで車いすを押してくれた。

この時、JALの人に自販機でたばこを買ってきてもらって久しぶりのたばくゆらした。すいると迎えに来ていた弟から叱られてたばこは取り上げられ、この時が最後の喫煙となった。

こ時の親切な対応にであってから、JALのファンになった。

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最後に

昭和61年2月27日 郷里の病院のベッドの上で、田中角栄元総理が脳梗塞に倒れたというニュースが流れた。

そして8月⒓日 日航機が群馬県の御巣鷹山に墜落した。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

まこっちゃん

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