筑後平野2、お正月が待ち遠しい

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高田繁吉というのがシゲの父親である。その父親、つまりシゲの祖父は高田直吉というが2年前に他界した。直吉の長男は勉強が出来たので八女師範学校を出て教員になった。田畑は二男の岩吉がもらい元家をとった。繁吉は元家の敷地の隅に菜種油絞り工場をたててもらい油屋になった。本当は百性になりたかったのだが、

「おまいに分けてやる田ん中はなか。代わりに油絞りの工場ば建ててやる。オート三輪も電話も買(こ)うちゃるし、嫁ごももろてやる」だから料簡せよと直吉から強引に諭された。そういうわけで高田繁吉は、田舎では珍しいオート三輪と電話を持っている。

「ええ糞!シゲカズ!とっとっと栗火箸と羊歯ば取ってこんかあ!」

繁吉はオート三輪のエンヂンを掛けようとして、ケッチンをくらって機嫌が悪いようだ。

12月25日を過ぎると北ん切りの家々は正月を迎える準備で気ぜわしい。シゲはお宮の裏や東山の周辺を歩き回って、栗の木と羊歯を探した。栗は新枝を切り、肥後の守で削って箸にする。新枝は真っ直ぐだから箸に加工するにはちょうど良い。羊歯とウラジロは良く似ているので注意がいる。

正月用のモチは元家でつくことになっている。シゲは妹の梅子と弟の繁雄を連れて餅つきを見に行った。叔父の岩吉がネジリ鉢巻で杵を振り上げていた。シゲの母親のフサと叔母の貞がかわりばんこに、合いの手を入れて蒸したもち米を返す。そこに岩吉の杵が勢いよく打ち下ろされ、蒸したもち米がネチネチとしたモチに変化する。その様子を子供らが遠巻きに眺める。つきあがったモチは片栗粉をまぶしてセリ箱で大中小に丸めていく。あんこの入ったモチも作られる。これを食べるのが子供たちの楽しみだ。つきたてのモチはことのほかおいしくシゲはたて続けに3個をほおばった。

「シゲちゃん、ひだるかっちゃろ。ほら、もうひとつどげんか」

婆しゃんから更に進められたが断った。

餅つきが終わると、女衆(おなごし)は正月料理ガメ煮の準備が待っている。レンコン、ゴボウ、サトイモ、干しシイタケ、人参、カシワを煮しめたものだ。男たちは飼っている鶏をヒネってガメ煮用の肉にする。叔父の岩吉が裏庭で飼っている丸々と太った赤鶏を捕まえた。脇にかかえるとアッという間にクビをひねって息を止めた。それから鶏の足を縛って柿木に吊るすと、良く研いである鎌ですばやくクビを落とした。したたる血を茶碗に受けて口に近づけゴクリと喉をならした。

 

「おまいも、飲むか」

ヒョットコのような顔をした岩吉叔父が、ニタニタ笑いながら目の前に、飲み残しの真っ赤な茶碗を差し出した。一部始終を見ていた岩吉の次男岩夫は激しくかぶりを振った。

繁吉の家はマッチ箱のように狭い。モチを三宝に乗せて飾る場所など無い。神棚、オート三輪の運転席、自転車のサドルなどに半紙を敷き、その上に羊歯を置いて大中小のモチを重ねた。一番上に鶴の葉とみかんを置いて正月用のお飾りモチができる。鶴の葉は保の家の庭に生えている。高さ3メートールほどの木だ。直径10センチぐらいで幹は白っぽい。艶のある濃い緑色の葉っぱをなぜか村人らは鶴の葉と呼んでいる。

「もらうばあ~い」

シゲは庭先で一声かけると一枝折って家に持ち帰った。

大晦日の夜。数の子、ナマス、イワシ、鯛が狭い卓に並ぶ。これは座るだけで大晦日には食べない。ラジオを聴きながら、子供らはガメ煮とコンコンでご飯を食べ、大人はソバを食べた。シゲは母に言われてソバを一度食べたけどまずくて吐き出した。その点、父親とは大違いである。繁吉はことのほかソバを好む。特にそば粉を練って作るケーモチが好物である。妻のフサに作らせては砂糖や醤油などをまぶして旨そうに食った。

元旦は高田家でも雑煮が振舞われる。前夜から鍋に水を入れ、昆布、スルメをダシ用に浸けておく。夜が明けるとそれがクドにかけられた。

「繁一、雑煮ば作るけん。火ば点けんね」

シゲは母親に言われてネルの寝巻きのまま土間に下りた。釜戸(くど)の前に置いてある椅子代わりの木切れに腰を下ろした。雑木の小枝と杉の葉を置き、その間に新聞を丸めて押し込んでマッチをする。やがて杉の葉が煙を出しながらパチパチとはじけ、チョロチョロと炎がでると順々に枯れ枝をくべる。火勢がつくと今度は割り木を重ねる。

鍋が沸騰すると薪を手前に引いて火を弱める。フサが竹輪、テンプラ、サトイモ、人参、大根を加えて煮込む。味付けは醤油のみだ。具が煮えたらモチを入れてしばらく置く。程よくやわらかくなったら茶碗に入れて家族5人で食した。

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お正月が待ち遠しい

高田家は8畳間に便所と炊事場、それに畳1枚ほどの板の間がくっついているだけだ。だから寝起きも食事も8畳でせねばならない。シゲはまだ夜具で丸くなっている梅子と繁雄を起こしてふとんを押入れにしまった。使い古しの四角いテーブルを出して朝食の用意を始めた。いつもはわがままなシゲがかいがいしく母親の手伝いを始めた。これから久留米に連れていってもらえるから嬉しくてしょうがないのである。

久留米と聞いただけで当条の子供らは目を輝かせた。正月に久留米の高良大社へ初詣に行くのが最大の楽しみなのだ。バス停に向かうとき親に連れられたどの子供らの足取りも軽やかだった。繁雄(5歳)は左手を母親に手を引かれ、梅子(8歳)は右手を引かれている。シゲはスキップしながらバス停へ向かう人たちの前になったり後ろになったりしながら歩く。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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