筑後平野1 ウッズメ

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― 昭和36年 福岡県八女地方 ―

筑後路に柿の葉が落ち、ハゼが紅葉する頃、ヤマトリガン(太郎蟹)が美味となり、柿も甘さを増してくる。

シベリア方面からは越冬のためにツグミやカッチョが飛来し、摘み残されたハゼの実や柿を目当てに、山から里へと鳥たちも下りてくる。村々の子供らは、この季節になると、森や林の中にウッズメと呼ばれる罠を仕掛け、ヒヨドリやカッチョ、山ニワトリを獲るのが楽しみのひとつとなる。

ケタとシゲは、下広川小学校が冬休みに入るのを待ちかねていた。最後の授業が終わると、校門で合流し、それぞれの家にランドセルを放り投げ、お宮の森へと急いだ。途中、庭で焚き火をしていた老婆から焼き唐(と)芋(いも)をもらい、熱々の白芋をホッホッとほおばりながら藪をかきわけ雑木林へ消えた。

5年生になるケタの本名は藤島武敏である。しかし在所の悪童らは誰も武敏とは呼ばない。村では大人でさえ、めったなことでは本名で呼ばれなかった。省略されて呼ばれるか、住んでいる場所や職業、親の名で呼ばれることが多い。

4年生のシゲは高田繁一という。最初はシーと呼ばれていたが、婆しゃんから短かすぎてあんまりだと、ガキ大将まで苦情がきてシゲになった。

ウッズメ

「おい、シゲ、ここがよかぞ」

ケタは、罠を仕掛けるのに都合の良い場所を良く知っている。ウッズメのバネに使う、曲げても折れにくい細い木があり、鳥たちが休憩のために止まれる高い樹木のそばが目安となる。ハゼや山柿、椿の木などの近くが好ましい。ヒヨドリが椿の蜜を吸い、カッチョがハゼと柿を食べにくるからだ。

 

ケタが小林旭のズンドコ節を口ずさみながら、地面を足で器用にならし始めた。大まかな整地が済むと、地面にしゃがみ込んで、落ち葉を除く。シゲもそれに習った。足を横に振って靴の底で地面を掃き、屈んでは枯葉を拾った。

やがて1メートール四方ほどの地肌が現れた。ケタは学生服のポケットからナイフの肥後守と畳糸を取り出し、直径二センチほどの真っ直ぐな木を探し、40センチぐらいの長さに切った。

この大人の親指ほどの棒が鳥の首を挟む下の棒になる。さらに30センチほどの木の棒を用意する。これが鳥の首を挟む上の棒である。この上棒を一メートールほどの畳糸で両端を縛り、ちょうどブランコのようにする。

それからケタは藪椿の枝を切ってトの字型をした4本の叉を作った。次に下棒の両端に左右2本づつの叉木を石で地面に打ち込んで固定した。それからバネ木として手ごろな樫の幼木を根っこから一・五メートールほどの高さで切った。チョンポとチョッカイ棒にするために極細の竹を探した。チョンポはチョッカイ棒を押さえることに使う。

 

バネ木は上部だけを切断し、根は生えたままにしておく。ケタはバネ木を弓なりに曲げ、しなり具合を確認した。地面に固定した竹棒の下から、両端を縛った上の竹棒の糸をくぐらせて引き上げ、バネ木に引っ掛けるのだ。こうしておいて上の竹棒を十センチほど引き上げ、チョッカイ棒をチョンポで押さえて、罠の入り口が出来た。

後は罠の後方全体を半球上に枯れ枝で囲う。中にエサとしてハゼの実や赤い南天の実、みかんんど鳥が好みそうなものをを入れて置く。赤い南天やみかんは良く目立つ。カッチョやヒヨドリが好奇心にかられて食べにくる。入り口から侵入するとチョッカイ棒が外れ、上の竹棒がバタンと下りて、鳥の首が二本の棒の間に挟まる。ケタは仕掛けの具合を試してから、満足そうにこう言った。

「おい、シゲ、下に行ってハゼと南天ば取ってこんか」

「うん」

シゲが雑木林の外に出ようとガサゴソと藪を掻き分けた。すると突然、足元でバタバタと羽音がした。二人の少年が愕いて音の方に目をやると、ハトよりやや大きめで、赤茶色の鳥が木々の間を低くとんだ。しかし直ぐに下りるとガサガサと大急ぎで地面を蹴って逃げたのである。

「おお、山ニワトリ!」

ケタが驚きの声をあげた。

「ありが……」

上級生たちが村の共同風呂で、ウッズメ自慢をする時によく口にする山ニワトリだという。

「チョットコイ、チョットコイ」

と茂みの中で泣いているのを聞いたことはあるが、シゲが山ニワトリを見たのはこのときが初めてである。

まっちゃん

ケタに下知され、お宮からそう遠くない松太郎さんの庭へ侵入し、南天に手を掛けたとたん、

「コラ!」

野太い声が便所の中でしたからたまらない。野ねずみの仔のように華奢な少年の体は、マガンコのように凍りついた。渋色の戸板が開いて夏ミカンのような頭がヌッと現れた。

「なんか、シゲちゃんか。黙って他人(よそ)の家に入るとは盗人(ぬすど)ぞ。南天のほしかならやるけん。今度(こんだ)から断りば、言わにゃイカンぞ」

「…ウン」

シゲは蚊の鳴くような声を発した。その場から直ぐにでも逃げたい気持ちだったが、気がかりなことがあった。

「巡査さんに言うとね…」

「カンラカンラカンラ、言わん言わん」

紙芝居のカンラカンラ回天鬼を真似、松ちゃんは笑った。にあがり者(もん)なのだ。北ん切りには松ちゃんが二人いる。彼は「お宮ん松っちゃん」と呼ばれている。もう一人は松五郎さんというゴマシオ頭の老人だ。戦前からの車力(しゃりき)を今でも愛用している。村人らは「馬車引き松っちゃん」と親しみを込めて呼んでいる。馬車引き松ちゃんはシゲに時々黒棒をくれた。小麦粉をこねて焼き黒砂糖をまぶしたものだ。甘くて旨いので労働者にこよなく愛されていた。特に馬車引きの人たちがおやつに好んだので村人らは馬車引き羊羹と呼んでいる。

ハゼの実はお宮の参道横にある老木にやっとの思いで登ってちぎった。シゲは、途中の茂みでヤガヤガ饅頭を見つけた。小枝を折り、5~6ミリの丸い実を口でしごくように食べた。甘酸っぱい食感が口の中で広がった。ヤガヤガ饅頭というのは当条の方言であり、他ではミソンチョと呼ぶ。学名は【小小ん坊(しゃしゃんぼう)】ツツジ科である。黒紫の実ををほおばりながら元のところへ戻った。

ウッズメはケタの手によってほぼできていた。仕掛けの後部は半円状に枯れ枝を地面に刺す。その中にハゼの実や赤南天をエサとして入れて置く。鳥がエサを食べようとするとチョッカイ棒がはずれ、獲物の首を締めるようになっている。

ケタのウッヅメは完成した。次はシゲの番だ。シゲはこれまでみよう見真似で、レンガ落しやウッヅメをかけてきたが、まだスズメの一羽も手にしたことが無い。共同風呂に行くと、子供らはウッズメの話題で盛り上がる。村のサロンとでも言うべき共同浴場で、話の輪に加われないというのは寂しい。シゲはどうしてもヒヨかカッチョを獲りたかった。ウッズメ巧者のケタに掛け方を教えてくれるよう頼んだというわけだ。

シゲのウッズメはケタが仕掛けた場所から南へ百メートールほど離れた藪の中に決まった。熊笹や葛などが生い茂る場所に仕掛け、山ニワトリを狙おうとケタが言うのである。山ニワトリは、短い距離を低く飛ぶことはできる。しかし、普通に空高くは飛ばない。昼間は草むらや藪の中をほっつき歩き、草の実や昆虫をエサにしている、とケタがこましゃくれて言う。彼の父ちゃんは農業のかたわら鉄砲を担いで野山を歩く。だから、ケタも野鳥のことは良く知っていた。

やがてシゲのウッヅメも完成した。帰りしな、先に仕掛けたウッズメを覗くと、すでにウグイスがかかっていた。しかし小さすぎて食べられない。黄緑色をした小さな物体は無造作に捨てられた。それから東山の溜池の方に移動した。山や堤の土手に生い茂る雑木林の中にウッズメをしかけたのである。

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当条

東山(ひがしやま)は当然のことながら集落の東方に位置する。赤松や樫、椎、楢の木などの雑木が生えているが、有り体に言えば丘である。だが村人らは昔から東山(ひがしやま)と呼んではばからない。その東山のそばには堤がある。山から池の土手に沿って一筋の野道が当条という二百戸ほどの集落まで伸びている。ケタとシゲが家路に向かって歩いていると、ショーとヤーに出合った。

「おう、ちょうどよかった。おまいどんも明日、お宮に集まれ。そろそろホッケンギョウの用意ばせにゃいかん」

集落の北端に北ん切りという25戸の隣組がある。他に、上小路、中小路、下小路、後乃家、指合という隣組がひとつになって当条という集落を形成している。

当条、牟礼、知徳、一条、藤田という集落の集まりが、旧分国法で言えば上筑後の国上妻郡下広川村である。戦後、下広川村、中広川村、上広川村が合併し、福岡県八女郡(やめぐん)広川町が誕生した。小学校は上、中、下の各小学校に通い、中学から広川中学校へ上がる。

ショーとヤーは、北ん切りの小学生らのリーダー格で、二人とも下広川小学校の6年生だ。

夜が明け、東山から太陽が昇った。早くお宮へ行かねば気が気ではない。グズグズしていると置いて行かれるかもしれない。シゲはコンコン漬けをおかずに、大急ぎで麦飯をかきこんで日吉神社の鳥居の前まで走った。すでに15名の童顔が揃っている。

博多で言う「ほうげんぎょう」の事を広川町ではホッケンギョーというし、在所によっては鬼火焚きとも呼んでいる。昔から続いている厄除けの行事だ。筑後平野の農村では一般的に行われている風習であり、子供たちの冬休み最後の楽しみである。

12月21日で下広川小学校の授業が終わり、冬休みに入った。当条の子供らは隣組単位でホッケンギョウの準備にかからねばならない。ケタもシゲも他の子供らも、ショーとヤーの下知に従って東山へ入り、タキギ集めに汗を流した。落ち葉は南京袋(とうまいぶくろ)に詰める。枯れ枝や生木は抱えたり、引きずったりして目的の田ん中へ運んだ。借りる場所は隣組のどこかの所有だ。

「お宮ん裏の、おっちゃんげの田ん中でホッケンギョーばするけん」

田の持ち主に声をかければ、おっちゃんは野良の手を休めて手洟をかみながら

「おう、怪我せんごつせにゃんばい」

と応えてくれる。

シゲは漢字の百字帳も冬休みの友も放り出しホッケンギョーの準備とウッズメの見回りに忙しい。もうそろそろ餅つきの段取りに入ろうかという12月24日、

「輪あ~がえ~♪」

と言いながらおっちゃんが自転車に桶の修理道具を積んで北ん切りを叫(おら)んで回った。

「頼むばい」

シゲの母親が漬物桶の修理を頼んだ。おっちゃんは、自転車を工場の前に止めゴザを敷いて修理を始めた。胴を構成している板が縮んで水漏れする場合、板を新規に作って取り替えなければならない。そして胴を締めている竹の輪を新しい物と交換し、薄く削った竹を拠り合わせた輪を締め上げて水漏れが無いようにする技が必要だ。とそこへまた、

「コウモリ傘の修繕♪」

という声までして、自転車が止まった。

それから鍋鎌、桶、コウモリ傘を下げた村人が集まってきて賑やかになった。シゲはおっちゃんたちの作業を面白そうに眺めた。

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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